北島守幸 オフィシャルサイト http://moriyuki.net

数日前の雪がまるで嘘のように空は快晴となった。とは言っても渡る風はつめたく真冬の風情いっぱいだ。
さて、連日の新年会で懐に余裕はなく体も疲れ気味だが・・・・夕方、宵闇迫る頃には、どこからか『元気くん」がやってくる。本日は、商工会青年部からのおよばれ。青年部は満40歳で卒業のため活動が面白くてもうちょっといたくても定年で「ハイ、サヨウナラ。」である。久々に交流できてうれしい。おまけに今夜は、わが町で一番「飛ぶ鳥を落とす」勢いの溝上建装社長の「おはなし」があるとのこと。彼は私に3つ後輩だが塗装業界では県下屈指のランクである。今やテレビコマーシャルはやるは、この不況下社屋は新築するは。孫もすでに3人。公私ともに充実と言ったところか。体は小さいがやる気満々。若い頃からの仲間が大いに羽ばたくことは最高にうれしいこと。今宵もまたもりあがるぞう!!
2010.01.16 17:22 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
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本日は、朝から
小長井・高来体育館の
建設工事にかかる
地鎮祭であった。

この地は、もともと隣接する
神社の敷地であったとのこと。

それを昭和25年
新制中学用地として提供され

合併による新高来中の新設に伴い
中学校としての役目を終え


昭和52年には
諫早農高の分校となり

次いで
諫早高校高来分校となったとのこと


この体育館については
その立地について

議会でいろんな議論があった。

地元としては
悲願の施設だと思う。

10月の末には
真新しい体育館で老若男女の
賑々しい声が弾む事を
大いに期待する。



2010.01.15 18:36 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
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さっそうとデビューするはず
だったパソコン講座、初日の

13日は、夜中からの大雪が
昼間も降りやまず

夕方になると
第2弾とも言うべき
暗雲立ち込めて

ついに休講となる。(夜の講座だった。)


なんとも
「出ばな 大くじかれ」の巻。


パソコンとは全く関係ないが
翌14日の某信金主催のゴルフコンペも中止。

こっちの方は
3年ないし、4年ぶりだった。

下手なゴルフは
”金の無駄””時間の無駄”
との「天の声」?


南国、長崎の雪は
年が変わって
やる気をみせている
53歳男を
結構、さえぎるなぁ・・・


でも「負けんけんね」



2010.01.14 11:12 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
ついに、パソコンを自由に
扱える日が近づいてきた。

何と、今の今まで
パソコンを自由に
扱えなかった。

私=北島守幸は
原稿は書いても

良きパートナー=妻の
お気にめさねば
日の目を見ることもなく・・・。

良きパートナーが
(良きパートナーではなかったので(>_<)
パソコンを更新してくれなくて、

とにかく、10ヶ月も
ブログから遠ざかってしまった。


でも!!
ついに!!!
政権交代から
遅れること4ヶ月。


私も変わるゾオーーー!!


私の事務所の下階に
近くて、遠ーーーかった
パソコン教室がある。

そこに通います!

そして、近々に
自分で何でも出来る日が来る。


21世紀が明けて10年。

北島守幸にも
ペリー来航以来の
「自身の維新」がやってきた。


時、あたかも福山雅治の
「坂本龍馬」も始まった。

日本の明日は、あかるいゾオッ!!

「天は二物を与えるか」

(そう、大げさなことではなく、パソコンを習います)





※10ヶ月もの未更新申し訳ございませんでした。
 
 明日からパソコン教室に通うことになりました。
 
 パシャパシャとブログを更新する主人の姿を

 今から楽しみにしています(*^_^*)


 今後のもりブロも、どうぞご期待下さい!
 
 (パシャパシャになるまで

 もうしばらく、お待ち下さいm(__)m




2010.01.12 17:53 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
急に 暖かくなった。

この前の土曜日(とても寒い日)が
うそのよう。

あの日から
何度、違うだろうか。

パンツ一丁でも平気になった。


こんなに早く起きたら(4時)
1番楽しみなのが、やはり新聞。

新聞は
人間以外では
1番の友達だと思う。

さて、その記事の中で
郷里の五島から
旅立つ孫娘を思いやる
おばあちゃんの随筆が載っていて

高校のブラバン部の
演奏に送られ
進学先の福岡へ
出発したらしい。

曲は
「ひとみを閉じて」

我々陸続きの者には
この船の別れが
逆立ちしても
想像できない。

でも、とっても
カナシソウ。


昔、私が小5の時
兄が、五島へ転勤になった。

大波止へ見送りに行った時
母が、泣いていた。

私は、泣いている母が
妙に不思議であった。

今も、あんな大きな船が
出向しているのだろうか。


―――昨日は、母の命日であった。

亡くなって、丸4年が経った。





2009.03.23 20:37 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
季節外れの雷の音で目が覚めた。
今、朝の4時半

心なしか温かい。
春はもうすぐそこなのだろう。

テーブルにあった明太子と
親戚からもらった大根漬けが
とても、おいしい。

楽しみの朝刊、2紙をめくりながら
目新しい記事を探す。

たいしてない。
いやいや、あるある。

「物価大暴落」
―――でも、この意味がよくわからない。

景気の悪さは実感としてある。
まわりにさえた顔がない。
土地が売れない。
空家がうまらない。

車屋の友人が
新車が全く売れないという。
修理も少ないという。

ハウステンボスはどうなるのだろう。
目に飛び込んできた
赤・白・黄色のチューリップ

3泊4日の真冬のパリしか知らない私には
本物のヨーロッパの香りがするハウステンボスは
とてもとても新鮮に映ったものだ。


さて、昨日は2月24日
記念すべき母校
日大法学部の受験の日だった。

2年に亘って受けまくった数々の大学。
唯一合格をくれた母校。

あとの数十校の受験の日は
この前後に並んでいるが
全て忘れた(忘れよう)

そして、第1子「うたちゃん」が最近生まれた
かわいい甥っ子の誕生日でもある。

33年が過ぎた。

春はもうすぐだ。



2009.02.25 12:00 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
今日は2月4日

早や、立春も過ぎ
今年も残すところ330日となって

日増しに日は長くなり
「寒い、寒い」と言いつつも

「春はもうつぐぅ」

この「つぐぅ」は
次女がまだ
小学校低学年のころ

この時期ある
学校内の演芸会?で
同級生の同級生の男の子が
放ったセリフ。

舌がよくまわらなくて
「つぐぅ」(=「すぐ」)は

私の心に
その男の子の映像とともに
強く残っている。

あの子も高2。
どうしているだろう。


さて、今、中国では
一部、富裕層の間で
空前の植木ブームだとか

いい枝ぶりがうけて
高値をよんでいるらしい。

お金に、糸目をつけず
はなうれとか

ちょっと、嫌な気が
しないでもないが

この不況感のある中
バブリーな話も
たまにはいいもんだ。


2009.02.10 18:47 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
20090107175836


2009年、平成も21年目となり
テレビに
「わあっ平成生まれの出とるっ」と
びっくりしたのも
随分前となりました。

昭和の31年生まれの私は
ちょうど昭和の半分を
経験しています。

昨日より今日
今日より明日と

日進月歩の今の中国のような
勢いのあったころが
多感な小・中・高生時代と
重なります。

この暮れから正月
我が目を疑う光景に
出くわしました。

なんと
いい若い者が布団を抱えて
東京のオフィス街をゾロゾロと
ねぐらを求めて歩いています。

「これは、どこの国のこと?」

我が日本なのです。

いつごろから、こんな国になったのか
そして、いつまでに
こんな光景はなくなるのか。

我々世代の肩にかかっています。

次世代に少しでも
負担をかけないよう
払うものは払って
いい国ニッポンをつくりましょう。

話が大きくなりましたが

平和で、豊かで、きれいな国
だったけどなぁと
言われぬよう

私、努力します。




先日、焼き鳥屋さんで
地元の神社の神主さんと
隣同士になった。

「七五三で忙しかろ?」
と言ったら、
さして忙しくないという。

「七五三に来る子ば紹介して。」
と言うのだ。

「悪かけど、俺はもう
46.7年前に済んだけん。」
と答えて
あとは、チャンチャンとなった。

はっきり覚えはないが
そんな行事も親から
してもらったのだろうなぁ。
(この件は、全く記憶なし。)


けれど、小1の11月は
田舎の、ホントど田舎の子供にも
衝撃的ニュースは伝わった。

米大統領ケネディ氏の暗殺事件。

時は、昭和38年11月22日午後1時(米国時間)
(たまたま、今日読んでいた本に出てきた。)

この何時間後、あるいは
翌日のニュースで知ったのか

小1の守幸少年は
不思議にはっきりと覚えている。

今は亡くなったが自分の親と
田んぼの脇で
「米大統領が亡くなったげな」と。

私が記憶しているこの場所は
国道でさえぎられてはいるが
冒頭の神社から100Mほどしか
離れていない。

なぜその場所で
そんなことを思ったのか

稲刈りの時期で
戦力にはならないが
手伝いに行った折

誰かが持ってきたラジオから
ニュースとして流れて
とても衝撃的だったのだろう。

今、そのあたりに
田んぼは全くなく、
個々の家々でうまっている。

そして、私も52歳にもなった。

おりしも、アメリカでは
新進気鋭の47歳の
大統領が誕生したばかり。

新たなアメリカの1ページが楽しみだ。

そして便乗でもいい
オバマ、チヂワ、アイノ、モリヤマ、、、、、と
活気が出てくれれば

それはそれで大変うれしい!



みんなどうしているだろう。

みんなとは
ここの選挙区の立候補予定の方々。

経験豊富な、大先生は何のことはなかろうが

あとの3新人は
今、何を思いどうしているのだろう。

気合を入れなおさないといけないのか

私が心配せんでも何のことはなかろうが
「袖触れ合うも他生の縁」と言う言葉からすると

この御三方は
縁が少しはある方々だから。


まずA氏は、同じ市議会の同僚。
17年の4月
初めてお目にかかってからの
お付き合いだが

同じ会派に属した時期もあり

ある時
「北島さん何キロ?」
当時86〜7kg.

「Mさん何キロ?」
Mさん85〜6kg.

「じゃあ、私が1番重か。」
(議会全体では100kg.前後の人が1人おられます)

声も大きく
酒の飲みっぷりもいい。

踊りの指導者、ガールスカウトのリーダー等々
多方面で活躍中。

我が議会では紅二点のうちの1人。
40代の声と女性の声を
いかに国政にぶつけられるか。

立候補表明は、1番早く
日ごろの活動の成果を
ここにかけておられることだろう。

ゴーゴー!!


続いてF氏
10月12日の町民運動会にて
初めてお会いしたが

こんなに小柄で可愛い人とは思わなかった。

150cm.あるなしで声も小さく

でも、空手をやっていたとかで
芯は強いのだろう。

母校、西校のかわいい後輩だ。

ファイトぅ!!


最後にY氏。
残念だが、ただの1度もお会いしたことはない。

けれど、過日事務所のポストに
パンフレットが入っていた。

聞けば、この広い2区の選挙区を
1人でもくもくと回っているとか。

すばらしい。

そのパンフによると
日大法学部経営法学科卒。

私と全く同じ学部学科の
こちらもかわいい後輩。

数ある大学にはじかれ続けたあげく
唯一入学させてくれた恩義ある学校。

いつの日か、一緒に日大節を
舞い、歌う日があるだろうか

ガンバッテねぇ!!


9年前の地域振興券と似たようなものが
配られる見通しとなった。

「減税=税を下げる」ことは、もともと
直接税を払ってない人にとっては意味がないし

手続きも複雑になる。
効果も即表れない。

とのことで
クーポン券か現金が

日本の国で暮らす日本人(外国人はダメ?)
なら、もらえるらしい。

偉い人の考えに逆らうようだが
「安直」に映る。

前の地域振興券も
6万もらった人間が言うのもなんだが
すばらしいアイデア・制度とは思わなかった。

カラカラの大地に
パラパラと少量の水を撒くより

井戸を掘ること
水道を引くこと
ため池をつくることを
考え、実行したらどうか

―――と言いつつ
そんなことも
偉い人が考えたあげく
「くださるお金」なら

やっぱり、だまって、いただこう。


この前したのは
はっきり覚えていないが
久しぶりの友人スピーチだった。

なにせ、新郎の友人なので
大体、年相応の人がやるものだから
自然そうなる。

しかし、今回は新郎が52歳だから
友人も52歳でいいのだ。


「あのう・・」で行くか
「只今ご紹介に・・」で行くか

最初の切り出して
後が大きく変わってくるが

今日はうまく流れた!(と思う!)

そこそこのあぜ道で
ぬかるみにも
あまり入り込まず
よかった!よかった!

20代後半から
30台ちょっとまでは

この手のスピーチでは
かっこつけて

「人生とは・・」
「夫婦とは・・」
「男とは・・」

なんて事を言っていた気がするが

この年になって
もうだいたい世間に
自分の力量がばれてくると

カタヒジはらなくていいのでラクチン。

1つだけ心配したのは
新郎が地元小・中の同級生で

恩師をはじめ
20数人同級生が来ていたので

同級生のことを少ししゃべる時
去年亡くなった悪友のことが
パァっと浮かんだらどうしようと

それだけは恐れていたが
幸い祝いの席
彼の顔が大きく広がらずよかった。

そんなことを書いている今、
まさに今、
悲しくなってきた。







結構強い雨音で目が覚めた。

高血圧と暑さと年のせいか
早朝に目覚めることが多い。

今朝も5時半だった。

家に届く新聞2紙をじっくり読む。

自民党新総裁 麻生氏の記事、顔写真

華麗な一族とは
こういう人たちのことを言うのかなあと
解説記事を読んで思う。

その割りにこの人は
品のない表現が多い人でもあるなあとも思う。

さて一方で
小1の息子を殺したのが「実の母親」の記事。

なんとも返す言葉がない。

1つ思うのは、ご主人(=被害者の父)は
これからどうして生きていくのか

―――――33歳で残りの人生どうなるの・・・。


籠に乗る人、担ぐ人、そのまたわらじを作る人。

それぞれに天命と言うものがあるとすれば
与えられた人生コース
粛々と生きていくしかないのか



自分に置き換えれば
今日は息子の保育園の運動会。

若い父母に混じって
最年長親父は
一生懸命走るしかないか。


20080603120446

新市発足以来平成17,18,19年度とPTA会長をしたので
諫早市PTA連合会から表彰してもらった。
(3年以上の役員歴が対象者)

今年は役員の代わり年だったのか
31名という大量表彰者であった。

中には、役員暦7〜8年の方もいらっしゃった。

当たり前だが、学校に通う子供がいないと
PTA役員はなれないのだ。

完全上がりの方も数多かった。

が、そこいくと私はまだ現役復帰が
いつでも出来る切り札を保持しているのだ。

いつの日か
またまた表彰される日があるかもしれない。

20080603120814

年に1度の
大島区スポーツレクの日

あいにくの雨で
グランドが使えず
体育館も予約していなかったらしく

区の公民館で
老若男女 相まみれて
レクレーションをやった。

ダーツに輪投げに
砂袋を投げるゲーム等

狭い建物の中
人口密度が最高になった。

この行事は長年続いており
私もその昔
班対抗ゲートボール戦で
優勝経験もある。

今年も下は1,2歳児から
上は90歳近い方まで

盛り上がった1日だった。


長崎県に限って言えば
まさに 諫早は中心部にある。

基本的に どこへ行くにも
無視するわけにはいかない。
佐世保市は別として

諫早は 多都市が一緒に何かを
やりたい、からめたい要点にある。

鉄道も 水も 土地も 揃っている。

―――がしかし
前述した点が
災いしているわけではないが
特徴がうすい?

旅の人が とどまって
じっくり宿を探すところでは
ないのであろう。


先日来、議会の特別委員会で取り組んでいた
「市民の声を聞く会」の中である方が

「文都」なる言葉を言われた。

数々の文人を生み
その方々に由来する(目立たない)名所も
数多くあるとのこと。

これを活かさない手はないし
先の方々に申し訳ないとのこと。

すでに一部の方が取り組まれている
長崎街道を見直し
整備を進める事業等と併せ

まず諫早の内なるものを
見直し、整えて
外へ向かってアピールしたい。

ちょうど
「ふるさと納税」制度も
出来たばかり。

諫早にルーツを持つ方
諫早に興味がある方に
どしどし血税を注いでもらおう。

1,2年後には
諫早駅は乗降客が多すぎて

駅舎も駅前も
どうしようもないと言う声が

数多く聞かれるように。



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昨日、自宅の勝手口付近で

髪の生え際
(普通の人よりずっと上、写真参照)

をケガした。痛かったぁ。

そして今日、息子を保育園に
迎えにいった折、先生に

「ハゲにも ケガあるよう。」
とか言っていると

息子の級友の2〜3歳児の内
1人の男の子にうけた。

意味がわかったのかどうか。

喜んでくれて、ありがとう!!

昨日の痛さも忘れますう。

20080602084633



「東京土産ぞ〜っ」と言って
得意気に息子に渡す。

待ちかねたように
お菓子に飛び掛る3歳児

ハローキティのお土産用お菓子は
色鮮やか!!
少し匂いはきついけど?!

ウッ
かたすぎる。
噛み切れない。

親子で悪戦苦闘

やっぱり変。

―――お土産サンプルと気付くまで
結構の時間。

パッケージが全く違わないこと。

値札が付いていること。

「サンプル」の文字が
どこにもないこと。

だいいち、店員が
他の商品同様ごく普通に
私に売ったこと。


「何しとんじゃいっ」の言葉は

店員にも、私にも向けられた。



先日、県外視察の折
都内のJRを利用した。

ラッシュ時間ではなかったが
結構混んでいた。
(都内では混んでる内に入らないかもしれないが)

空席に座ろうと思えば座れたが
私は、年配の男性に
同僚議員は、小さな女の子とその祖母らしき人に
席をゆずった。

どちらも礼を言われて
うれしかったが

特に小さな女の子のお祖母さんは
丁寧に何度もお礼を言われた。

何分間、同じ空間にいたかさだかではないが
かわいい女の子が
4歳になったばかりで
体が大きいほうで
言葉がおいついていないこと

それで初対面の人には
ちょっと誤解されやすいこと

その子のお父さんが
180数センチの上背があること等々
和やかムードで

我々が先に降りる時は
又又丁寧なお見送りを受けた。

―――――都会の雑踏も
捨てたものではないなぁと
感じたひとときであった。



5月17日、看護協会主催の講演会で
「島田洋七」さんのお話を
諫早文化会館の第1列目で
聞くことが出来ました。

わずか数メートルのところで
かの有名な
がばいばあちゃんの話がありました。


きれいごとを言うな

他人の目を気にするな

他人をうらやましがるな

自分の為、自分の為、自分の為
で生きてゆけ

残りの余白で他人の為のことをせよ


世界の中の
日本で生まれたことだけでも
宝くじに当たったようなもの
(日本はすばらしい国)

何か人は1つ、とりえが有れば上等

年寄りの知恵を大事にせよ
聞き出せ 等々

1時間20分大爆笑の連続

「しーん」となったのは
わずか数分であったろう

用意された水一杯飲まず

プロとはこんな人を言うのかなぁと
いたく感心した。



先日、会派の視察で
鹿児島県の薩摩川内市を訪問した。

1市4町4村合併の
102,000人のまち

議員視察の応待としてはめずらしく
教育長さんが直々のお出迎え

それもそのはず
「教育特区」をとって

小中一貫校等
独自教育を実践されている。

我々の諸々の質問にも
「待ってました。」とばかり
ポンポン答えが出てくる。

英語授業、学校司書、PTA活動等

過疎地をいっぱいふくんだ
新しいまちが力強く
動いているなぁと感じた。





3月19日 3時30分 起床

ここんところ、くすぶっている風邪の為
自分の咳と、隣で眠る響(三男)の大声のうわ言で
目が覚めた。

しかし、本当のところは
今日の午前中にある卒業式の
「PTA会長挨拶」の原稿が出来ておらず
気になって目が覚めてしまったのだ。

何事も、せっぱづまらねば
先へ進めない悲しき習性。

―――そして、原稿は出来た。
かなり、いい表現があるゾ。

子供たち(小学6年生)は、きっと
耳を傾けてくれるゾ。

典型的自画自賛。
いい性格だ。

早く来い来い卒業式。

このまま、また寝るのはもったいない。
これからのことでも考えよう。
早くも来ている新聞にも目を通そう。

その前に、腹が減って来たゾ。

メタボはお構いなく
マヨネーズをたっぷりかけて
サラダの残りを食べていると

祝いの雨が降ってきた。



「3月13日 夜 9時前 その時は来た。」

と書けば、
さぞ、大事のようだが
諫早市PTA連合会会議 最後の時

来る4月からPTA会長をしないので
当然、その上の団体
市PTA連合会の役もなくなり

したがって、その連合会の
会議へ来る事もなくなる。

3年間、ホントあっと言う間

以前からの知り合いは
ほんの数人だったので
この3年間で随分親しい人が
増えたことになる。

義務教育中の子を持つ親であり
それぞれの学校の親の代表として
宿泊研修会等、親しくなりやすい行事が
充分にあった。

「袖擦り合うも多生の縁」
を、感じざるを得ない。

次年度、活動を続ける人
私のようにここで終わる人

道の途中で会ったら
きっと、100年来の友人のごとく
肩をたたき合うことだろう。

―――そして、私はいつの日かまた
PTA役員復活の日を結構夢見ている。

その為の絶対条件の子供がまだ
2人も残っている。・・・ウフフ








20080122075856


ここは、横浜「山下公園」

白のガードレールに
軽く腰掛ける私

その横には恋人?
いやいや
1つ違いのいとこ(家は隣)

私―――髪がいっぱい。細い。
黒の革ジャンならぬ、ビニジャン。
この頃、こんなのを持っていたのか・・・
そして、安そうな運動靴。

かたや、いとこ
けっこう高そうな
赤のブーツにハンドバッグ

しゃれた感じの
かえりのふわふわ付のコート
派手目の化粧。

二人とも、若いな〜

昭和52.3年頃の冬場。
東京にいとこが
遊びに来た時のものだろう。

懐かしい写真だ。


―――さて、私が今の家に住んで
24年になろうとする。

実家から50Mほど離れたこの土地は
長らく母が1人
サトイモを植えたりして
いつも何かが青々と
しげった畑だった。

聞けば、私の祖父の幼少の頃
ちっちゃな百姓家が
ここにあったらしい。

言わば、100年ぶりの
里帰りである。

隣は、私の叔父(母の弟)夫婦が
新居としてから56、7年。

私の家の新築後
今の家に新築した。

―――いとこにとって最愛の母が
昨秋亡くなった。(父は随分前)
兄や姉も近くにはいるが
それぞれの家庭がある。

だだっ広い家に
ただひとり。

おばは、友達の多い人だったので
いつも賑やかだった。

近年、別に珍しい家庭事情ではないが
やっぱり、寂しいだろうなぁ

いつも、声を掛け合った
おばちゃんの声のない事は
私達家族にも
大いに影響している。

「遠い親戚より、近くの他人」
と言うが、その点から言っても
「となりの親戚」なのだ。

その家から、いつの日か
大家族の賑やかな声が
聞こえてくる日が
あるといいなと思う。







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あけましておめでとうございます!

「ね」年は
どんな年になるんでしょうか?!

明日のことは わかりませんが

私が52になり
出て行った髪の毛は
もう2度と我が家に戻ることはなく

中央大学の森誠則(喜中、諫高卒)のように
箱根を疾走することもないことだけは
確かです。

景気の先行きは不透明で
我が長崎県は 若者の寄り所に
全くなりきれてない現実に
ため息ばかりでは
どうしようもありませんが

さりとて
明日から何をどうする知恵もなく
とにかく、
一歩 一歩を 噛みしめて歩いて・・・


甥っ子が、かわいい嫁(婚約中)を連れて
訪ねてきてくれました。

中国に渡った磯君が、家族を連れて
数日のうちに帰ってきます。

長男が、もうじき帰ってきます。


そんな正月2日の昼です。


最後に 森君!!(中大)かっこよかったぁ〜

♬箱根の山は〜天下の剣♬



コーヒー牛乳がうまい。

空きっ腹に 染みわたる。

たいして忙しくもないのに
昼飯を食い損なった。

今からでもいいのだけれど
どうしようかと思っていたら
冷蔵庫に
12月24日賞味期限(or消費期限)
のコーヒー牛乳。

「おいしい!!」


私の社会人 1年生は
昭和55年、熊本の地。

小売業なので この時期は忙しかった。
(と言うか、流行っていたデパートだったので
年中忙しかった。)

一月半ほど、休日が全くない時もあった。
―――若いので、頑張った

一人暮らしなので、朝食うものもなく
従業員入口から入った階段の踊り場で
自動販売機で買ったコーヒー牛乳を飲んだ。

空きっ腹に おいしかった。

たまには、前日に買った
アンパンとか饅頭とかをかじりつつ
コーヒー牛乳を飲んだ。

おいしかったぁ。


あの頃から 27年が過ぎた。

今、諫早の地で
中心市街地活性化が
声高に叫ばれている。

かつて、年に何回かの売り出しの時
階段やエレベーターを駆け上がってくる
あの殺気立ったお客様の
ほんの1割か2割が
この街にいれば

栄町アーケードも
喜々津商店街も
潤うであろうなあ・・・


コーヒー牛乳を飲みながら
そんなことを思っています。






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※5人+1人でつついた美味しい鍋


♪もう いくつ寝ると お正月
お正月には タコ揚げて

いつごろまでか こんな歌をうたって
暮れの寒空を 楽しんだものであった

今日、正月にタコを揚げたり コマを回す
ハナタレ小僧は まず 見ない。

今の小僧は 暖房のよく効いた部屋で
テレビゲームを楽しみ
ケンタッキーか宅配ピザを食する。

子供の頃、母は「薬と思うて飲め」と
汁物を飲ませた。

「薬と思えば、よけいおいしくなかやろが」と
守幸少年は 母の心ない言葉と
ボキャブラリーの乏しさをなげいた。

しかし、あの塩辛い味噌汁だけは
ものすごく大好きで

私が好きな母の数少ないおかずメニューの
1つである

―――――いつも、いつも なき母を思い出す。

なぜか、なくなって半年、1年経ってからの方が
恋しくなってきた。

明けて3年。つい、数日前もおやじとおふくろが
ならんで、夢に出てきた。



―――――12月14日は、忘年会が楽しい夜でした。




もうしばらくお待ち下さい(__)
20070730192834

今日の昼食
妻が自分で作った、とても「味のいい」
手羽先の油揚げ?甘辛風味?をぱくぱく食べていた。

ひとつ食べては、あれこれ話して笑って
また、次を食べている。

「いろんなことが好きな女やなぁ」と
思いつつ、適当に話をあわせていた。

この「手羽先」とやら、思えば大人になるまで
それも、30も40にもなってやっと
うまいと思って食えるようになった。

だいたい、あの「トリハダ」が
苦手でダメだった。

子供の頃、お袋の実家
(と言っても、小道を一本はさんだ隣の家)
では、何かあると、とにかく大人数で
いっぱい料理とか作って
いっぱいで食べていた。

いつの日を最後にこの「風物詩」が
なくなったか定かではないが
年に何回も繰り広げられる

このお祭りさわぎは
その人手の多さ
バタバタ加減が
子供達には、とてもとても楽しかった。

さて、そこで
肉料理は主にさっきまで
コケッコッコーと鳴いていたニワトリさんだった。

このニワトリ料理の過程
特に前半の逆さに吊るして
首ちょん切って、火炙りにして、羽をむしって等々
残酷物語が
いたいけな北島少年の目と心に
深く刻み込まれていく

大の大人になるまで
手羽先を始めとして
ストレートの鶏肉が
ダメな食べ物となった。

―――――なのに、どうしてか
「ビールがうま〜い」と、思うようになってから
(私は30まで晩酌しなかった)
セットのように
「鶏肉さんも好き!!」になった。


今、目の前で昼の日なかに
おいしそうに手羽をほお張る妻をながめつつ
思い出したことである。






5月1日、早朝、まさに早起き。

「早寝、早起き、朝ごはん」
文科省推進の言葉通り、
早く寝て早く起きた。

起きた時は、雨音がしていたが
今は、やんだようだ。

5月のカレンダーを見ていると
すでに何かと諸々行事が浮かぶ。

今日からの日を楽しみにしつつ
4月を振り返ってみると
いろんな事がありました。

世間的には、長崎市の事件に代表されるし
私自信も先に記したような心情であったが・・・。

月末になって、また「訃報」
同級生の急死。

夫婦間で本当のところは隠していたようで
実のお母さんでさえ
詳しく知らされていなかったとか。

大村と多良見
この10数キロの距離は、案外
「知らんことは、知らない」
で、過ごせる距離かも。

ぶっきらぼうな言動に、182cmの体
一見こわそうな風貌にこめられた
優しさと社会性。
子供のことを語る時の共通の思い。

父親同士がとても親しい仲だったので
親たち同様これからがますます楽しみな仲であったのに・・・。

精一杯、弔問客に接されていた奥さん、お母さんが
痛々しかった。

性格そのままの、テニスのようなゴルフだったが
(球を見つけたら、適当にすぐ撃つ)
「もう、こいつとは出来んなぁ」と、ひとり思った。

火葬場の駐車場で次男君が
春の日をあびた緑の山々を
ジーっと見つめていたのが印象的であった。

ライオンズメンバーとして
「献眼」を実行されたことは
立派であった。

合掌


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悲しみから一夜明ければ
甥っ子の結婚式。
「この男に花嫁が来る日があるのか」と
ひそかに叔父のハシクレが心配していた。

28歳になる姉の次男。
「嫁の来る、来ん」と外野席が悩むなかれ
「三国一の花嫁」はまさに
白馬に乗ってやってきた。

私は知らなかったが
数年前「ミス小浜・雲仙」だったらしい。

愛嬌はあるし、スタイルはいいし
これは何かのまちがい??

ボーっとして
何を考えているのかわからんこの男に・・・。

とにかく、姉夫婦ならずともめでたさの絶頂。

話がほぼ、まとまるまで私には伏せておいたとか
「話をぶち壊す」
「あの男だけには早めに教えられない」
とのことらしい。

あんなに何回もチャンポンをおごってやったのに。
たかだか500〜600円のものでは
ありがたさが伝わらないらしい。

披露宴の最中、スクリーンに映った
本人の小さい頃の写真の中に
私の両親も出てきた。
とても可愛がっていたので
生きていればさぞ喜んだに違いない。

本当にめでたいことでした。


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そんなこんなで
悲喜こもごもの4月でありましたが

5月はいいことばかりの
31日間であってくれれば・・・・ね。