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北島守幸 オフィシャルサイト http://moriyuki.net
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どうなる?
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2015.04.10 13:35 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
男の子だそうだ。
良かった良かった実に良かった。
天下のイギリス国王、王位継承順位3番だそうで、天下をとっている。
アメリカや海の向こうのオーストラリアもこの国王と言う面では、配下だろうし、
分家とはこういう時にはルーツを重んじるらしい。それもいい事とだろう。
偶然にも、同じ年、同じ誕生日の人はどんなに晴れやかで、かつ嬉しいであろう。

お祝いの日に水をさすわけではないが、
7月23日は長崎ではS57の大水害があった日は、ローカルニュースでは慰霊祭の模様も
流れていたが大きな記事としてはなかったようである。
ひどい雨だった…バケツをひっくり返すという表現がぴったりだった。
あれから、31年時は過ぎた。

話は変わるが、2日も過ぎてしまったが、お祝い事としては、
いとこの子が二年連続甲子園出場行きを決めたのが21日。
予選から毎度楽しませてもらっている。
投打のまさに中心選手ゆえ、親戚としても気合いが入る。
鍛えるかれた身体は頼もしく、おっとりした性格、内に秘めた闘志、ポーカーフェイスの面持ち。
子煩悩で、優しくて、ハゲのおじちゃん(本人の祖父、一族ハゲだらけ。)
生きていれば、歓喜の涙を流していることだろう。

話はそれてしまったが、我が一族も世界中も幸せなここ数日である。

ついでに、うちに老犬タローの誕生日も7月23日です。


2013.07.25 14:38 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
4月から、一日の日程の中で「Ⓟ=PTA」が入るのが、
指折り数えてみるとなんと20数回。
110日程度の日数の内、
20数回Ⓟの用事が入っていることになる。
まっ丸一日と言うのはさすがにないが
数時間、半日と言ったところか

今日Ⓟに新たな一ページが加わった。
と、大げさな話でもないか
私の立場は諫早市PTA連合会副会長(5名います)
なのだが、来年、日本PTA大会が長崎県であるということで
例年より、やや(かなり?)忙しいらしく
本来、諫早市の会長くらいで用が足りていた分を
副会長まで、いろんな役がおりてきたようだ。

そして、そのことで母校 西高で今日の午後、会議があった。
以前、県のPTA連合会の事務局が西高の敷地内にあることは
聞いていたような気もするが
私までが西高にお邪魔して会議をすることになろうとはーーー。

何十年ぶりの母校だろう。
夏休みと言っても、普段通りの授業があっていた。
そして2時何分かごろ、実に大音響でクラシック系の曲がかかり
その後きれいな放送部(?)の女性の声で
「清掃の時間です」とか言って
「きれいに教室内外を磨きましょう」のアナウンス。
「へえーっ」面白いなあ。

会議が終わって帰る頃は
ブラバンの練習の生徒たちが廊下に何人もいて
どの子もきちんと挨拶をする。イイゾゥ、後輩達。

C棟という名の敷地の端にあるその校舎を出て
車のあるところまでボチボチ歩いた。
この学び舎を出て、既に38年と4カ月
私の記憶の中の母校と同級生を中心とした
当時の西高生の弾んだ声が何か聞こえてくるようで

PTAをやるとこんな経験も出来るんだなあと
うれしくなりながら帰ってきた。

ーーーーなんと言う話でありませんでしたね。
でも、母校は懐かしいもんです。

2013.07.23 13:13 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
木の実ナナは うたがうまい ムードがある 心がある 色っぽい 最高(五木ひろしとのデュエット曲「居酒屋」)

名曲ベストヒット歌謡をずーっと見ていた 聴いていた
1960年代と70年代の曲が交互にくる。
いいうたばかりだ。
それにしても私は「ませて」いたのかなあ・・
大人の恋のうたをランドセルを背負いながらうたっていた。
千昌夫、石原裕次郎、森進一、小林旭、都はるみ、美空ひばり、田端義夫、島倉千代子・・・。
みんないいな!!

学校の登下校時、牛を引いたおじさんがのんびり通ったり、たまーの車に通せんぼして怒った運転手のおじさんに
あぜ道をめいっぱい追っかけられたり、自転車のハンドルにたくさん荷物をさげたおばさんがゆらゆら通っていったり、またある時は「あんたたちだけバイ」といって道端でまさに「子供だまし」のいかさま顕微鏡(的なもの)を売りつけられたり・・これが子供でも買える価格で20円~50円そこらでなぜかボール紙で包まれており、
手の指の骨まで見えるというふれこみだった。
当然みんなお金などないのでそのあやしいおじさんは「まとってやっけん」とか言って我々が家からお金を持ってくるまで待っていてくれた。(「くれた」というほどのことはないが)
私も家からお金を持ってきた口。善良な男の子であった。
・・・・こんな時代のこんな子供。
演歌をうたっていた。
まだ見ぬ東京、まだ見ぬ都会。「このまま田舎モンで終わらんゾォ!!」と守幸少年はこぶしを握りしめた。

そういえば、テレビドラマとかで男女の食事のシーンとかあると「女性と二人で食事をする時があったらどうしよう」と・・。
時として、学校の授業中でもドーンと不安がよぎる。その回答はナシ・・・。
暗い気持ちになったもんだ。
昭和でいえば、S35~55年ぐらい、まさに私の少年~青年期と一致する歌謡ヒットメドレー。

今宵はビールがどんどんすすみます
2013.07.05 15:58 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
ついにと言うか、とうとうと言うか、ただただ時の過ぎゆくままにと言うか、
本日6月5日をもって、私北島守幸は57歳になりました。

57年前の朝か昼か夜か…いつ頃生まれたのか、梅雨の季節なので、雨がザーザー降っていたのか
等々わかりません。
S31年のこのあたり、多良見町化屋の一番大村湾付近はドップリ田舎で右からも
左からも牛を引いたおじさんが往来しニワトリ、ひつじ、ヤギ、ネコ、犬、ブタ、ヘビ、ネズミ…
天然無料動植物園であった事だと思う。

ただ、JR喜々津駅周辺は今よりはるかに賑やかでお店が並び、旅館が2件あり、いつの頃までか
遊廓まであったとのこと。
おば(父の妹)が当時は珍しいパーマ屋(美容室)をS30年に開店し(今も同じ場所に現役です)
私の自宅から直線では500m~600mしか離れていないので、テイシャバ(停車場という自治会)=
駅周辺に来ると銀座2丁目か銀座3丁目き来たようで、とても華やいだ雰囲気で楽しく中学くらいまで
泊まり込みで過ごしたものです。

さて、今朝も「60までもうちょっとね。」と言われたけど、小2の子供を持つ身としては、PTA会長として
心は40歳程度に保っていないと(ありがたい事に無意識に保っています。)他の保護者についていけません
(先頭を行ってるとの声あり)。よって、まずはもうすぐ始まる学校のプールの事、PTAレクレーションの事、
今度のバーベキュー会の事、ソフトボールの事、月1のたらみ市の事、等々。
歳と取ってる場合ではないのです。

若いころのイメージとしては、50歳ぐらいになったら、もっと重々しい大人の男のはずだったのに・・・。
体だけが重々しく、髪は軽々しく、平和な日々が続いています。

「誕生日おめでとう!!!」

2013.06.06 17:36 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
地元中学校卒業式前夜
いとこの現役PTA会長に「明日は何時から?」
迷わず「10時から」

当日、ちょっと早めに行こうと(9時10数分着)
9時30分からだった。
「あぶない、あぶない」
人の言うことをまともに信じるなと一人つぶやく。
(その前に、送られて来たプリントをよーく確認せよ。)

さてこの日は、最後に親の代表の謝辞を述べる父親も友人で
しかも数日前「こんなんでどう?」と原稿を見せられた。
「なかなかよかよ」と言っておいたが、なにぶん彼は初舞台
式のプログラムが一つづつ遂行されると、なんだかこっちが緊張してきた。

ご存じの通り「謝辞」なるものは式がすべて終わってからのしろもので
緊張が長引く事になる。
本人の姿を卒業生の子供たちより多くちょくちょく注意しながら見ていると
気のせいか緊張している様子。やがて出番到来。

ここでなぜかマイクがペコんペコんと下にさがる。
「何の前兆だ」嫌な予感――――――――。
しかし、案に外してスムースに言葉が出る。
「いけてる、いけてる」「よかった、よかった」
――――式はすべて終わった。我々も退場する。
人の挨拶でこんなに緊張するのも珍しい。


そして数日後に迫った私がPTA会長の小学校の卒業式の
式の開始時間を何度も確認したのであった。




2013.03.17 18:07 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
つよくて きれいで カッコ良かった
相撲大好きの父と伴いよく見た。

新聞によると、私の生まれた年が初土俵となっている。
数字を見ても つよかった事がそのままわかる 圧倒的につよい人だった。
小さい頃 大鵬の出番の2、3番前あたりから興奮しはじめ
取り組み自体をまともに見れなかったくらいのファンであった。

私の年で言えば 4歳で新入幕 中3(15歳)で引退となる。
完全に私の幼少、少年時代のあこがれの大スターである。
今朝の新聞で これほど子ども時代の記憶と
その年次が重なっていたことに驚いている。

いわゆる「巨人・大鵬・卵焼き」の言葉通り
子供の大大アイドルであった。
「お相撲さんも きれか人の出てきた。」とよく母が言っていた。
ホントにきれいな姿であった。

日経新聞に 功なり名を成した人の1か月人生コーナー
「私の履歴書」と言う欄があるが
その人の幼少期から今日までを30~31日分でつづられている。
大鵬さんのは 私の中でベストいくつかに入る。
感銘深い人生談であり 学ぶべきところの多い文章でした。

ご冥福をお祈りします。
2013.01.21 16:46 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
今日から12月。今年もあと1月となった。今年どうしてもしておかなくては…ということも特になく(本当は盛りだくさんかも?)このままズルズルとクリスマスが来て大晦日となり、年を越すのだろうか。
子供のころ祖父母が正月になると必ず「年はいくつになったねぇ?」と聞いてきて、その度に「誕生日は6月やけん6月にならんば年は増えん」と答えていた。
毎年同じことを聞くなぁと少々呆れ気味に。でもお年玉がでかく(金額が大きく)て
好きだった。そう言えば手旗信号を一方の祖父から
教えてもらったこともあった。ニューギニアで戦死した次男(私の父の弟)のことを想い出しのていただろうか。両方の祖父母の4人がすぐ近くに住んでいたのは何につけてもありがたかった。
お年玉にしても、いろんな話にしても。生きていれば4人とも115~120数才。ケイタイもなく
インターネットも知らず。「伸び行く日本は永遠なり」と思っていたかどうかは尋ねようもないが。
「もういくつねるとお正月~」師走のはじめにこんなことをおもっています。




2012.12.01 17:11 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
杉尾先生、とても懐かしいひと時で、私は昔の恋人に逢った心境でした。
11月18日は喜々津東小の30周年記念式典の日だった。記念式典といっても、ご来賓にお茶一杯と紅白饅頭と薄っぺらの「東小30年史」のみ。(まあ、お金がないので仕方ないか。)
歴代校長先生の内5名がお見えになった。全部で10名なので出席率50%。
私が36歳で初めてPTA会長を引き受けたとき本部役員も全員お兄さん、お姉さん。保護者も8~9割は年上だったと思う。640名ほどの児童でプレハブ校舎まであり、とても賑やかだった。
私自身、30代で何もわからないながら「勢い」があって(?)怖いもの知らずでバンバン言って行動していたと思う。そんな中、50代半ばの校長先生はとても優しくソフトムードで頼れる存在だった。
あれから19年の月日が流れた。(そしてまだPTA会長をやってます。)いろんなことが
我が身にもあった。会長あいさつの最中、いろんなことが想いだされ
つい
泣きそうになった。目の前の幼いこども達をみていると約20年がタイムスリップしたような、それとは真逆に時は過ぎたなあと妙にしんみりした瞬間でもあった。「多良の遠嶺が呼んでいる」で始まる東小の校歌、「東小に幸多かれ。」そして杉尾先生、倉永先生、永井先生、長濱先生、石橋先生ご臨席頂き誠にありがとうございました。





2012.11.21 15:59 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
小1の息子が、10月から「漢字」を習いだした。「火、月、水、山、川、空」などなど。何がすごいといって、これほど単純な字をいまさらはじめて読む、書く、初対面的な感動を持って受け入れることがなんともすばらしい。(と、本人は思っていないだろうが。)春の入学依頼、1,2,3や、あ、い、う等々、最もシンプルなものから出発して既に半年。小学校1年生とそれを指導する先生と明治以来の初等教育のシステムに、私は大いに感動している。テレビの影響で口から出る言葉は大人顔負けの表現も多いが、校舎1階の1番端の教室で真剣にやっていることは「日や月や水」なのだ。ついこの前までは「へ」や「は」の使い方を習っていたようだ。足し算も引き算もいつの間にかできるようになっている。私としては「時計の針の読み方」を早く教えてくれないかなあと思っている。「そんくらい親がやれ」とか「あんたんとこの子レベル低うっ。」との声が聞こえそうだが…。
2012.10.15 09:37 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
「何やろか」と思えば、

『郷ひろみショーに行かんや』

「そいは何で」

と理由を問えば、
テレビか新聞かに広告があって行きたくなったからとのこと。
「ヘェー」と言いつつ、一緒に行くことをOKした。
ついでに「川原も誘おう」と一致。

まだ、9月の催しらしいが同世代の(1つ上と思う)かつての大スター(今でも中スター?)
直に見たことはないが、まぁ、ものめずらしいのと森川の思いつきに成功。

その森川も川原も高校の同級生。
とても優秀な1年1組のクラスメート。
入学後すでに4月のうちには仲良くなっていたような記憶がある。
以来、ちょうど40年のつきあい。

今年は夏に高校の同期の同窓会もあって、
同級生と会う機会も増えている。

同級生とは不思議なもので、
いつ会っても気分は高校生(+α)ぐらいに戻ってしまう。

いいことです。

夏に向かって、毎日が楽しいオジさんたちでした。
2012.06.02 13:56 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
ひびき入学式


末の息子は真新しいランドセル
(4/3 息子にせがまれてあわてて購入(>_<) 店にはあと3つ残っていた。
 店員さんの接客時間 0秒 レジに持参にして「これください。」
 間に合ってよかった^_^;)
も、すごく似合って、堂々と一人で登校している。

そして毎日「楽しかったぁ」と言って帰ってくる。
良かった。良かった。

私もこの息子のお陰で1年の空白を経てPTA会長となったし
正確には総会を経ていないので公式ではないが・・・と言いつつ
市PTA連合会の日程を 昨日息子が持ってきた。
夏ごろまでの予定が結構載っていた。

慣れた事と言えば、慣れた事。

でも、ものすごく新鮮な感じに我ながら驚いている新学期だ。







2012.04.13 10:55 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
「給食おいしかったですか。いっぱい食べて大きくなるよ。」

今冬一番の冷え込みの中、1月25日は小栗小学校での給食の集いにはせ参じた。
この学校はS41年建築の建物で今春から解体・新築工事が始まる。
市内28校の小学校の中で子供の数が増えている数少ない学校の一つ。

さて、とりめし・黒米そうめん汁・はなはじき等々、とても美味しかった。
それにも増して子供たちの屈託のない話が楽しい。
「食べ物に好き嫌い一切ない?」と言うと
ピーマン・チーズ・とうがらし・馬肉等々
やつぎ早に質問がとぶ。

兄弟姉妹のこと、「ビールが大好き」と言うと
「うちのお父さんはチューハイが好き」
「今度赤ちゃんが産まれる」
「ソフトボールをやっている」
「サッカーが大好き」
「おデコがピカピカしているね」
子供たちの話はつきない。

たった1時間の交流だったけれど、別れのあいさつをするとき話に0.数秒つまった。
「もう帰るの?」と聞かれ「帰りたくなーい」と思ってしまう。

もしも私が先生で1年間担任でもして、別れの挨拶となると
大泣きしそうな感動があるのではないかなぁ。

とにかく真冬の心のサンルームであった。

「また来てね。」の社交辞令に対し、
本当にまた来たいなぁと思ってしまった。

冒頭の「給食はおいしかったですか」
の文章が裏面に書いてある金メダルを大切にします。
書いてくれたMちゃん、ありがとう。
小栗小1年3組のみんな、そして先生、
大変お世話になりました。

「また、来まーす!」

メダル表

メダル裏

2012.01.26 17:46 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
との挨拶もそろそろ終わりかなという今日は1月23日。
寒い、多分今年一番寒い。いわゆる「寒気がなだれこんでいる」のだろう。
けれども、この寒さに似合わず日が長くなって、日没が遅くなって、
太陽の光がキラキラしている。そしてそのことが私はとてつもなく嬉しい。

「冬来たりなば、春遠からし」

イイゾ、イイゾ、春は近いぞ!

この前、成人式を迎えた次女が小2か小3の頃、
2月にあった小学校の○○発表会で同級生の男の子が言ったセリフ。
「春はもうツグゥッ。(すぐの意)」から10数年。
未だに耳に残る「ツグゥッ」

この季節は寒いけど、道で立ち話もしにくいけれど
希望の春、何でもできそうな春がもうすぐそこなのです。

55から単に56になるだけのおじさんも
ワクワクしている今日この頃です。


2012.01.23 17:31 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
また
PTAの巻

11/7(日)長崎市PTAの運動会を
最初から最後まで見学する。

秋晴れの柿泊競技場は
「今日は、運動会をせよ」と言わんばかりの絶好の日。

話には聞いていたが、面白かった。
競技種目は、ムカデ競争・玉入れ・綱引き・リレーと
たった4種目だが、参加人員がとにかく多い。

長崎市内には、約120校市立の小中があるそうだが
参加は約70校だそうで
1つの競技を始めるまでが大ごとのよう。

そんな中、昼休みの諏訪小のお母さん達のアトラクションが
1番、私は気に入った。

AKB48ならぬ
「AKB30、40」の中で
メインスタンド前、中央に位置した
1人のお母さんに、自然注目が集まる。

この人は、今日帰ってご主人に
どんな報告をするのだろう。
今後、一主婦で納まるのか等々、勝手に思ってしまう。

「会いたかったぁ♪会いたかったぁ♪」の軽快な曲のもと
透き渡った秋の空と秋の風。PTAは、楽しいなぁ!

「諫早市も来年からやるゾォ」と
山本会長以下、見学一致の意見であった。


2010.11.09 14:47 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
九Pこと、PTA九州大会は楽しかった。

その第1は「大畑先生」の話が聞けたこと。
この方との最初の出会いは、3年前の県P島原大会でのこと

とにかく元気のいい先生で、初めて入った島原復興ドームに響き渡る声
体つきもしまっており、壇上を右に左に身振り手振りで動き回り講演
声が大きい、熊本弁のまくしたてがいい

「奮闘努力」せよ、との言葉に私はいたく気に入って
いろんな挨拶の中で使っているところだ。

さて、今日は縁があったなぁとつくづく思ったのは
分科会が10に分かれている中で私に与えられたその分科会の
講師として先生が来られたこと。

内容をまったく知らなかったゆえ
いきなり舞台に立たれた先生を見た時、驚きと感動が一緒になって
そのちょっと前までの眠気(隣の前田氏いわくしっかり眠っていて、
パイプ椅子がギイギイいっていたらしい。)がふっとんだ。

「あいさつ」がすべて大きい声、反復連打気味。
いい話であった。その証拠に一般席からの質問は
大畑先生に限られた。


私は思う。OA機器もインターネットもいいが
今、人が子供たちが求めているものは
この先生に代表される「気迫」
体当たりの付き合いではなかろうか

「奮闘努力」は、するかいがあると思う。



2010.11.09 14:21 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
本当に久しく書いています。

今年も早や10月の後半、寒い寒い年頭に始めたパソコン
全10回の講座を大きく8回残して「ザセツ」した。

我が事務所は2階、パソコン教室は1階(直線距離7~8m)
この教室は遠かった・・・

インストラクターのお姉さん(かなり美人)に
「3回目はいつにしますかぁ?」と、
優しく声を掛けられたのも5回はくだらない。

でも私は原稿を書いて
それを妻にパソコンに入れてもらう能無し野郎で終わろう。


そういう訳で、近況から

町民運動会に、ペーロン
たらみふるさと祭に、のんのこ祭
子供の運動会に、PTAのミニバレー
有喜の公民館の落成式に、宮相撲
久山神社に町民ソフトボール

もう、土日、土日は楽しいことだらけ。
楽しいこと(行事)は、平日にも結構ある。

そして、気がつけば朝夕はめっきり秋の風。

今月は「よそ行き」も能登に山梨に山形とまあ楽しいことだらけ。

こんな久方ぶりのブログで
「人生、懸命に生きています。」と言っても説得力はない。

でも、9月に長男がやっと就職できて
今年の1番よかったことではないだろうか
もうすぐ25才になるが、何でも、30数社受けまくったとか
誰でも知ってる会社もいくつか受けたとの事。

とにかく「東京で頑張る」息子を
とてもとても頼もしく思う今日この頃

次男も近頃、富みに勉強に精を出しつつあり
5歳三男は、相変わらずだが
長女27歳、マイペース
次女も元気でやってるそうで何より

そして美しい妻はガーデニングに何やら興味と生きがいを
覚えたようで、これもよかったよかった。
私に向けられる要望の1つでも可憐な草木達が代わりをしてくれれば
世の中最高、天下太平。



ブログ、ぼちぼち書きます。



                H22.10.20
                   北島 守幸


2010.10.22 14:47 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
約束どおり教室へは行きませんでした。
教室横のろうかへも、となりの教室前の廊下までも、とにかく一切体育館からでることなく帰路に着きました。
運動会のことや文化祭でのことを懐かしく想いだしながら雨の校庭をひとり歩きました。

娘との約束はかくも厳粛に履行されます。きらわれたくないのです。―――と言うか、体育館で繰り広げられた1時間数十分の卒業式の行事だけで充分満足しましたし、最初で最後のような諫商校歌がとても気に入りました。
春の雨が体育館の屋根を激しく叩きつけてもそれはそれで祝福のメロディのようでもありました。娘が所属したブラバン部の奏でる曲のすべてが心地よいものでした。―――「娘よ卒業おめでとう。大きく羽ばたけ。いや、そんなにはばたかなくていいから、人生を喜んで。体に注意して、世の中の多くを学んで、そしてきれいになれ。東京行ったら変なやつのいっぱいおっけん気をつけんばぞ。幸い姉ちゃん兄ちゃんのおるけんよう注意ば聞け。カゼひくなよ。ちょっとヤセろ、便秘せんごと。お父さんのような平均点の高い男がいいぞ。ワセダはむり、日大の学生はいいヤツが多いゾ。―――おまえのサックスホン上手やった。コンサートいつも楽しみでした。―――卒業おめでとう。」
2010.03.02 17:04 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |

数日前の雪がまるで嘘のように空は快晴となった。とは言っても渡る風はつめたく真冬の風情いっぱいだ。
さて、連日の新年会で懐に余裕はなく体も疲れ気味だが・・・・夕方、宵闇迫る頃には、どこからか『元気くん」がやってくる。本日は、商工会青年部からのおよばれ。青年部は満40歳で卒業のため活動が面白くてもうちょっといたくても定年で「ハイ、サヨウナラ。」である。久々に交流できてうれしい。おまけに今夜は、わが町で一番「飛ぶ鳥を落とす」勢いの溝上建装社長の「おはなし」があるとのこと。彼は私に3つ後輩だが塗装業界では県下屈指のランクである。今やテレビコマーシャルはやるは、この不況下社屋は新築するは。孫もすでに3人。公私ともに充実と言ったところか。体は小さいがやる気満々。若い頃からの仲間が大いに羽ばたくことは最高にうれしいこと。今宵もまたもりあがるぞう!!
2010.01.16 17:22 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
P2010_0115_104919.jpg



















本日は、朝から
小長井・高来体育館の
建設工事にかかる
地鎮祭であった。

この地は、もともと隣接する
神社の敷地であったとのこと。

それを昭和25年
新制中学用地として提供され

合併による新高来中の新設に伴い
中学校としての役目を終え


昭和52年には
諫早農高の分校となり

次いで
諫早高校高来分校となったとのこと


この体育館については
その立地について

議会でいろんな議論があった。

地元としては
悲願の施設だと思う。

10月の末には
真新しい体育館で老若男女の
賑々しい声が弾む事を
大いに期待する。



2010.01.15 18:36 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
P2010_0113_101542.jpg

















さっそうとデビューするはず
だったパソコン講座、初日の

13日は、夜中からの大雪が
昼間も降りやまず

夕方になると
第2弾とも言うべき
暗雲立ち込めて

ついに休講となる。(夜の講座だった。)


なんとも
「出ばな 大くじかれ」の巻。


パソコンとは全く関係ないが
翌14日の某信金主催のゴルフコンペも中止。

こっちの方は
3年ないし、4年ぶりだった。

下手なゴルフは
”金の無駄””時間の無駄”
との「天の声」?


南国、長崎の雪は
年が変わって
やる気をみせている
53歳男を
結構、さえぎるなぁ・・・


でも「負けんけんね」



2010.01.14 11:12 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
ついに、パソコンを自由に
扱える日が近づいてきた。

何と、今の今まで
パソコンを自由に
扱えなかった。

私=北島守幸は
原稿は書いても

良きパートナー=妻の
お気にめさねば
日の目を見ることもなく・・・。

良きパートナーが
(良きパートナーではなかったので(>_<)
パソコンを更新してくれなくて、

とにかく、10ヶ月も
ブログから遠ざかってしまった。


でも!!
ついに!!!
政権交代から
遅れること4ヶ月。


私も変わるゾオーーー!!


私の事務所の下階に
近くて、遠ーーーかった
パソコン教室がある。

そこに通います!

そして、近々に
自分で何でも出来る日が来る。


21世紀が明けて10年。

北島守幸にも
ペリー来航以来の
「自身の維新」がやってきた。


時、あたかも福山雅治の
「坂本龍馬」も始まった。

日本の明日は、あかるいゾオッ!!

「天は二物を与えるか」

(そう、大げさなことではなく、パソコンを習います)





※10ヶ月もの未更新申し訳ございませんでした。
 
 明日からパソコン教室に通うことになりました。
 
 パシャパシャとブログを更新する主人の姿を

 今から楽しみにしています(*^_^*)


 今後のもりブロも、どうぞご期待下さい!
 
 (パシャパシャになるまで

 もうしばらく、お待ち下さいm(__)m




2010.01.12 17:53 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
急に 暖かくなった。

この前の土曜日(とても寒い日)が
うそのよう。

あの日から
何度、違うだろうか。

パンツ一丁でも平気になった。


こんなに早く起きたら(4時)
1番楽しみなのが、やはり新聞。

新聞は
人間以外では
1番の友達だと思う。

さて、その記事の中で
郷里の五島から
旅立つ孫娘を思いやる
おばあちゃんの随筆が載っていて

高校のブラバン部の
演奏に送られ
進学先の福岡へ
出発したらしい。

曲は
「ひとみを閉じて」

我々陸続きの者には
この船の別れが
逆立ちしても
想像できない。

でも、とっても
カナシソウ。


昔、私が小5の時
兄が、五島へ転勤になった。

大波止へ見送りに行った時
母が、泣いていた。

私は、泣いている母が
妙に不思議であった。

今も、あんな大きな船が
出向しているのだろうか。


―――昨日は、母の命日であった。

亡くなって、丸4年が経った。





2009.03.23 20:37 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
季節外れの雷の音で目が覚めた。
今、朝の4時半

心なしか温かい。
春はもうすぐそこなのだろう。

テーブルにあった明太子と
親戚からもらった大根漬けが
とても、おいしい。

楽しみの朝刊、2紙をめくりながら
目新しい記事を探す。

たいしてない。
いやいや、あるある。

「物価大暴落」
―――でも、この意味がよくわからない。

景気の悪さは実感としてある。
まわりにさえた顔がない。
土地が売れない。
空家がうまらない。

車屋の友人が
新車が全く売れないという。
修理も少ないという。

ハウステンボスはどうなるのだろう。
目に飛び込んできた
赤・白・黄色のチューリップ

3泊4日の真冬のパリしか知らない私には
本物のヨーロッパの香りがするハウステンボスは
とてもとても新鮮に映ったものだ。


さて、昨日は2月24日
記念すべき母校
日大法学部の受験の日だった。

2年に亘って受けまくった数々の大学。
唯一合格をくれた母校。

あとの数十校の受験の日は
この前後に並んでいるが
全て忘れた(忘れよう)

そして、第1子「うたちゃん」が最近生まれた
かわいい甥っ子の誕生日でもある。

33年が過ぎた。

春はもうすぐだ。



2009.02.25 12:00 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
今日は2月4日

早や、立春も過ぎ
今年も残すところ330日となって

日増しに日は長くなり
「寒い、寒い」と言いつつも

「春はもうつぐぅ」

この「つぐぅ」は
次女がまだ
小学校低学年のころ

この時期ある
学校内の演芸会?で
同級生の同級生の男の子が
放ったセリフ。

舌がよくまわらなくて
「つぐぅ」(=「すぐ」)は

私の心に
その男の子の映像とともに
強く残っている。

あの子も高2。
どうしているだろう。


さて、今、中国では
一部、富裕層の間で
空前の植木ブームだとか

いい枝ぶりがうけて
高値をよんでいるらしい。

お金に、糸目をつけず
はなうれとか

ちょっと、嫌な気が
しないでもないが

この不況感のある中
バブリーな話も
たまにはいいもんだ。


2009.02.10 18:47 | 日記 | トラックバック(-) | コメント(-) |
20090107175836


2009年、平成も21年目となり
テレビに
「わあっ平成生まれの出とるっ」と
びっくりしたのも
随分前となりました。

昭和の31年生まれの私は
ちょうど昭和の半分を
経験しています。

昨日より今日
今日より明日と

日進月歩の今の中国のような
勢いのあったころが
多感な小・中・高生時代と
重なります。

この暮れから正月
我が目を疑う光景に
出くわしました。

なんと
いい若い者が布団を抱えて
東京のオフィス街をゾロゾロと
ねぐらを求めて歩いています。

「これは、どこの国のこと?」

我が日本なのです。

いつごろから、こんな国になったのか
そして、いつまでに
こんな光景はなくなるのか。

我々世代の肩にかかっています。

次世代に少しでも
負担をかけないよう
払うものは払って
いい国ニッポンをつくりましょう。

話が大きくなりましたが

平和で、豊かで、きれいな国
だったけどなぁと
言われぬよう

私、努力します。




先日、焼き鳥屋さんで
地元の神社の神主さんと
隣同士になった。

「七五三で忙しかろ?」
と言ったら、
さして忙しくないという。

「七五三に来る子ば紹介して。」
と言うのだ。

「悪かけど、俺はもう
46.7年前に済んだけん。」
と答えて
あとは、チャンチャンとなった。

はっきり覚えはないが
そんな行事も親から
してもらったのだろうなぁ。
(この件は、全く記憶なし。)


けれど、小1の11月は
田舎の、ホントど田舎の子供にも
衝撃的ニュースは伝わった。

米大統領ケネディ氏の暗殺事件。

時は、昭和38年11月22日午後1時(米国時間)
(たまたま、今日読んでいた本に出てきた。)

この何時間後、あるいは
翌日のニュースで知ったのか

小1の守幸少年は
不思議にはっきりと覚えている。

今は亡くなったが自分の親と
田んぼの脇で
「米大統領が亡くなったげな」と。

私が記憶しているこの場所は
国道でさえぎられてはいるが
冒頭の神社から100Mほどしか
離れていない。

なぜその場所で
そんなことを思ったのか

稲刈りの時期で
戦力にはならないが
手伝いに行った折

誰かが持ってきたラジオから
ニュースとして流れて
とても衝撃的だったのだろう。

今、そのあたりに
田んぼは全くなく、
個々の家々でうまっている。

そして、私も52歳にもなった。

おりしも、アメリカでは
新進気鋭の47歳の
大統領が誕生したばかり。

新たなアメリカの1ページが楽しみだ。

そして便乗でもいい
オバマ、チヂワ、アイノ、モリヤマ、、、、、と
活気が出てくれれば

それはそれで大変うれしい!



みんなどうしているだろう。

みんなとは
ここの選挙区の立候補予定の方々。

経験豊富な、大先生は何のことはなかろうが

あとの3新人は
今、何を思いどうしているのだろう。

気合を入れなおさないといけないのか

私が心配せんでも何のことはなかろうが
「袖触れ合うも他生の縁」と言う言葉からすると

この御三方は
縁が少しはある方々だから。


まずA氏は、同じ市議会の同僚。
17年の4月
初めてお目にかかってからの
お付き合いだが

同じ会派に属した時期もあり

ある時
「北島さん何キロ?」
当時86~7kg.

「Mさん何キロ?」
Mさん85~6kg.

「じゃあ、私が1番重か。」
(議会全体では100kg.前後の人が1人おられます)

声も大きく
酒の飲みっぷりもいい。

踊りの指導者、ガールスカウトのリーダー等々
多方面で活躍中。

我が議会では紅二点のうちの1人。
40代の声と女性の声を
いかに国政にぶつけられるか。

立候補表明は、1番早く
日ごろの活動の成果を
ここにかけておられることだろう。

ゴーゴー!!


続いてF氏
10月12日の町民運動会にて
初めてお会いしたが

こんなに小柄で可愛い人とは思わなかった。

150cm.あるなしで声も小さく

でも、空手をやっていたとかで
芯は強いのだろう。

母校、西校のかわいい後輩だ。

ファイトぅ!!


最後にY氏。
残念だが、ただの1度もお会いしたことはない。

けれど、過日事務所のポストに
パンフレットが入っていた。

聞けば、この広い2区の選挙区を
1人でもくもくと回っているとか。

すばらしい。

そのパンフによると
日大法学部経営法学科卒。

私と全く同じ学部学科の
こちらもかわいい後輩。

数ある大学にはじかれ続けたあげく
唯一入学させてくれた恩義ある学校。

いつの日か、一緒に日大節を
舞い、歌う日があるだろうか

ガンバッテねぇ!!


9年前の地域振興券と似たようなものが
配られる見通しとなった。

「減税=税を下げる」ことは、もともと
直接税を払ってない人にとっては意味がないし

手続きも複雑になる。
効果も即表れない。

とのことで
クーポン券か現金が

日本の国で暮らす日本人(外国人はダメ?)
なら、もらえるらしい。

偉い人の考えに逆らうようだが
「安直」に映る。

前の地域振興券も
6万もらった人間が言うのもなんだが
すばらしいアイデア・制度とは思わなかった。

カラカラの大地に
パラパラと少量の水を撒くより

井戸を掘ること
水道を引くこと
ため池をつくることを
考え、実行したらどうか

―――と言いつつ
そんなことも
偉い人が考えたあげく
「くださるお金」なら

やっぱり、だまって、いただこう。


この前したのは
はっきり覚えていないが
久しぶりの友人スピーチだった。

なにせ、新郎の友人なので
大体、年相応の人がやるものだから
自然そうなる。

しかし、今回は新郎が52歳だから
友人も52歳でいいのだ。


「あのう・・」で行くか
「只今ご紹介に・・」で行くか

最初の切り出して
後が大きく変わってくるが

今日はうまく流れた!(と思う!)

そこそこのあぜ道で
ぬかるみにも
あまり入り込まず
よかった!よかった!

20代後半から
30台ちょっとまでは

この手のスピーチでは
かっこつけて

「人生とは・・」
「夫婦とは・・」
「男とは・・」

なんて事を言っていた気がするが

この年になって
もうだいたい世間に
自分の力量がばれてくると

カタヒジはらなくていいのでラクチン。

1つだけ心配したのは
新郎が地元小・中の同級生で

恩師をはじめ
20数人同級生が来ていたので

同級生のことを少ししゃべる時
去年亡くなった悪友のことが
パァっと浮かんだらどうしようと

それだけは恐れていたが
幸い祝いの席
彼の顔が大きく広がらずよかった。

そんなことを書いている今、
まさに今、
悲しくなってきた。







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