FC2ブログ
北島守幸 オフィシャルサイト http://moriyuki.net
旧日本兵の上野さんという方が帰国された。

昨日テレビでほんのちょっと見ただけの印象を言うと
「帰国」より「来日」と言う感じ。

なんせ日本語を忘れてしまっておられる。
一緒に来られた長男さんもいわゆる外国の人の風情。

この方の戦後は、どのようなものだったのか。
私たちにはとうていわからない「苦労」があったことと思う。

幸い兄弟姉妹の方々が何人もおられるようで
とにかく60数年を少しでもうめてほしい。
ふるさとをゆっくり楽しんでもらいたい。



戦後のソ連軍の日本兵に対する強制労働等で
旧ソ連の奥地、黒海周辺部まで連れて行かれ
諸事情で帰国しそびれ現地の方と結婚したりして
住みつかれた方も結構いるらしい。

戦後の日本国と、旧ソ連との政治の違い、国交のなさから
帰るに帰られなかったのか

望郷の想いは「ひとしお」であったろう。
もうあとのない年令となり思い立たれたことだろう。

さてこの上野さんと「同世代の84才(生きていれば)」
我が親族に、南の国ニューギニアにて戦死した人がいる。
父の弟である。

軍服姿の写真のような肖像画を小さいころから見ていたが
もしこの人が生きていて帰って来たら
叔母達(本人の妹達)はとても喜ぶことだろう。

残念なことに、私の父もいないし
最愛の両親(私の祖父母)は、はるか昔に亡くなっている。

柔道が強かったらしく「北島」のネーム入りの黒帯があった。
旧制諫早中学校の同窓生名簿や、
本人が大事にしていたものがいくつかあったが

23才という若さで、見知らぬ南の国で命を散らせたことは
無念であったことと思う。

子供のころ祖父が私に軍隊のことなど語ることがあったが
この叔父のことを語ることはなかった。
ふれたくない話だったのだろう。

我が父もまた私には、自分の弟の話などしたことはない。
しかし、叔父と同級生の人とは親しくしていたし
いろんな話をしていたようで
弟を同級生を通して思い出していたのだろう。

喜々津地区の遺族会という会の会長を死ぬまでつとめていたのは
そういう思いがあったからであろう。

今私が、直接の遺児でもないのに、この遺族会の役をやっている。
それは、いろんな方から「あんたが、つないでくれんね」
との依頼があったからではあるが
背景には、「父の思い」が以前から私の中に伝わっていたからであろうと思う。

この遺族会は、今、市の連合会という組織となった。
この会で、初めての方々との会合が何回かあった。
皆同じような経験をされ、意識の高い方たちばかりだ。

忘れられつつある「戦争」と「戦後」を、1つずつ勉強していきたいと思う。

そして、いつの日かニューギニアのカテカ島というところを訪ねてみたい。
スポンサーサイト















管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://morinn.blog46.fc2.com/tb.php/9-5c813633