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北島守幸 オフィシャルサイト http://moriyuki.net
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結構強い雨音で目が覚めた。

高血圧と暑さと年のせいか
早朝に目覚めることが多い。

今朝も5時半だった。

家に届く新聞2紙をじっくり読む。

自民党新総裁 麻生氏の記事、顔写真

華麗な一族とは
こういう人たちのことを言うのかなあと
解説記事を読んで思う。

その割りにこの人は
品のない表現が多い人でもあるなあとも思う。

さて一方で
小1の息子を殺したのが「実の母親」の記事。

なんとも返す言葉がない。

1つ思うのは、ご主人(=被害者の父)は
これからどうして生きていくのか

―――――33歳で残りの人生どうなるの・・・。


籠に乗る人、担ぐ人、そのまたわらじを作る人。

それぞれに天命と言うものがあるとすれば
与えられた人生コース
粛々と生きていくしかないのか



自分に置き換えれば
今日は息子の保育園の運動会。

若い父母に混じって
最年長親父は
一生懸命走るしかないか。


20080603120446

新市発足以来平成17,18,19年度とPTA会長をしたので
諫早市PTA連合会から表彰してもらった。
(3年以上の役員歴が対象者)

今年は役員の代わり年だったのか
31名という大量表彰者であった。

中には、役員暦7~8年の方もいらっしゃった。

当たり前だが、学校に通う子供がいないと
PTA役員はなれないのだ。

完全上がりの方も数多かった。

が、そこいくと私はまだ現役復帰が
いつでも出来る切り札を保持しているのだ。

いつの日か
またまた表彰される日があるかもしれない。

20080603120814

年に1度の
大島区スポーツレクの日

あいにくの雨で
グランドが使えず
体育館も予約していなかったらしく

区の公民館で
老若男女 相まみれて
レクレーションをやった。

ダーツに輪投げに
砂袋を投げるゲーム等

狭い建物の中
人口密度が最高になった。

この行事は長年続いており
私もその昔
班対抗ゲートボール戦で
優勝経験もある。

今年も下は1,2歳児から
上は90歳近い方まで

盛り上がった1日だった。


長崎県に限って言えば
まさに 諫早は中心部にある。

基本的に どこへ行くにも
無視するわけにはいかない。
佐世保市は別として

諫早は 多都市が一緒に何かを
やりたい、からめたい要点にある。

鉄道も 水も 土地も 揃っている。

―――がしかし
前述した点が
災いしているわけではないが
特徴がうすい?

旅の人が とどまって
じっくり宿を探すところでは
ないのであろう。


先日来、議会の特別委員会で取り組んでいた
「市民の声を聞く会」の中である方が

「文都」なる言葉を言われた。

数々の文人を生み
その方々に由来する(目立たない)名所も
数多くあるとのこと。

これを活かさない手はないし
先の方々に申し訳ないとのこと。

すでに一部の方が取り組まれている
長崎街道を見直し
整備を進める事業等と併せ

まず諫早の内なるものを
見直し、整えて
外へ向かってアピールしたい。

ちょうど
「ふるさと納税」制度も
出来たばかり。

諫早にルーツを持つ方
諫早に興味がある方に
どしどし血税を注いでもらおう。

1,2年後には
諫早駅は乗降客が多すぎて

駅舎も駅前も
どうしようもないと言う声が

数多く聞かれるように。



20080603114047


昨日、自宅の勝手口付近で

髪の生え際
(普通の人よりずっと上、写真参照)

をケガした。痛かったぁ。

そして今日、息子を保育園に
迎えにいった折、先生に

「ハゲにも ケガあるよう。」
とか言っていると

息子の級友の2~3歳児の内
1人の男の子にうけた。

意味がわかったのかどうか。

喜んでくれて、ありがとう!!

昨日の痛さも忘れますう。

20080602084633



「東京土産ぞ~っ」と言って
得意気に息子に渡す。

待ちかねたように
お菓子に飛び掛る3歳児

ハローキティのお土産用お菓子は
色鮮やか!!
少し匂いはきついけど?!

ウッ
かたすぎる。
噛み切れない。

親子で悪戦苦闘

やっぱり変。

―――お土産サンプルと気付くまで
結構の時間。

パッケージが全く違わないこと。

値札が付いていること。

「サンプル」の文字が
どこにもないこと。

だいいち、店員が
他の商品同様ごく普通に
私に売ったこと。


「何しとんじゃいっ」の言葉は

店員にも、私にも向けられた。



先日、県外視察の折
都内のJRを利用した。

ラッシュ時間ではなかったが
結構混んでいた。
(都内では混んでる内に入らないかもしれないが)

空席に座ろうと思えば座れたが
私は、年配の男性に
同僚議員は、小さな女の子とその祖母らしき人に
席をゆずった。

どちらも礼を言われて
うれしかったが

特に小さな女の子のお祖母さんは
丁寧に何度もお礼を言われた。

何分間、同じ空間にいたかさだかではないが
かわいい女の子が
4歳になったばかりで
体が大きいほうで
言葉がおいついていないこと

それで初対面の人には
ちょっと誤解されやすいこと

その子のお父さんが
180数センチの上背があること等々
和やかムードで

我々が先に降りる時は
又又丁寧なお見送りを受けた。

―――――都会の雑踏も
捨てたものではないなぁと
感じたひとときであった。



5月17日、看護協会主催の講演会で
「島田洋七」さんのお話を
諫早文化会館の第1列目で
聞くことが出来ました。

わずか数メートルのところで
かの有名な
がばいばあちゃんの話がありました。


きれいごとを言うな

他人の目を気にするな

他人をうらやましがるな

自分の為、自分の為、自分の為
で生きてゆけ

残りの余白で他人の為のことをせよ


世界の中の
日本で生まれたことだけでも
宝くじに当たったようなもの
(日本はすばらしい国)

何か人は1つ、とりえが有れば上等

年寄りの知恵を大事にせよ
聞き出せ 等々

1時間20分大爆笑の連続

「しーん」となったのは
わずか数分であったろう

用意された水一杯飲まず

プロとはこんな人を言うのかなぁと
いたく感心した。



先日、会派の視察で
鹿児島県の薩摩川内市を訪問した。

1市4町4村合併の
102,000人のまち

議員視察の応待としてはめずらしく
教育長さんが直々のお出迎え

それもそのはず
「教育特区」をとって

小中一貫校等
独自教育を実践されている。

我々の諸々の質問にも
「待ってました。」とばかり
ポンポン答えが出てくる。

英語授業、学校司書、PTA活動等

過疎地をいっぱいふくんだ
新しいまちが力強く
動いているなぁと感じた。





3月19日 3時30分 起床

ここんところ、くすぶっている風邪の為
自分の咳と、隣で眠る響(三男)の大声のうわ言で
目が覚めた。

しかし、本当のところは
今日の午前中にある卒業式の
「PTA会長挨拶」の原稿が出来ておらず
気になって目が覚めてしまったのだ。

何事も、せっぱづまらねば
先へ進めない悲しき習性。

―――そして、原稿は出来た。
かなり、いい表現があるゾ。

子供たち(小学6年生)は、きっと
耳を傾けてくれるゾ。

典型的自画自賛。
いい性格だ。

早く来い来い卒業式。

このまま、また寝るのはもったいない。
これからのことでも考えよう。
早くも来ている新聞にも目を通そう。

その前に、腹が減って来たゾ。

メタボはお構いなく
マヨネーズをたっぷりかけて
サラダの残りを食べていると

祝いの雨が降ってきた。



「3月13日 夜 9時前 その時は来た。」

と書けば、
さぞ、大事のようだが
諫早市PTA連合会会議 最後の時

来る4月からPTA会長をしないので
当然、その上の団体
市PTA連合会の役もなくなり

したがって、その連合会の
会議へ来る事もなくなる。

3年間、ホントあっと言う間

以前からの知り合いは
ほんの数人だったので
この3年間で随分親しい人が
増えたことになる。

義務教育中の子を持つ親であり
それぞれの学校の親の代表として
宿泊研修会等、親しくなりやすい行事が
充分にあった。

「袖擦り合うも多生の縁」
を、感じざるを得ない。

次年度、活動を続ける人
私のようにここで終わる人

道の途中で会ったら
きっと、100年来の友人のごとく
肩をたたき合うことだろう。

―――そして、私はいつの日かまた
PTA役員復活の日を結構夢見ている。

その為の絶対条件の子供がまだ
2人も残っている。・・・ウフフ








20080122075856


ここは、横浜「山下公園」

白のガードレールに
軽く腰掛ける私

その横には恋人?
いやいや
1つ違いのいとこ(家は隣)

私―――髪がいっぱい。細い。
黒の革ジャンならぬ、ビニジャン。
この頃、こんなのを持っていたのか・・・
そして、安そうな運動靴。

かたや、いとこ
けっこう高そうな
赤のブーツにハンドバッグ

しゃれた感じの
かえりのふわふわ付のコート
派手目の化粧。

二人とも、若いな~

昭和52.3年頃の冬場。
東京にいとこが
遊びに来た時のものだろう。

懐かしい写真だ。


―――さて、私が今の家に住んで
24年になろうとする。

実家から50Mほど離れたこの土地は
長らく母が1人
サトイモを植えたりして
いつも何かが青々と
しげった畑だった。

聞けば、私の祖父の幼少の頃
ちっちゃな百姓家が
ここにあったらしい。

言わば、100年ぶりの
里帰りである。

隣は、私の叔父(母の弟)夫婦が
新居としてから56、7年。

私の家の新築後
今の家に新築した。

―――いとこにとって最愛の母が
昨秋亡くなった。(父は随分前)
兄や姉も近くにはいるが
それぞれの家庭がある。

だだっ広い家に
ただひとり。

おばは、友達の多い人だったので
いつも賑やかだった。

近年、別に珍しい家庭事情ではないが
やっぱり、寂しいだろうなぁ

いつも、声を掛け合った
おばちゃんの声のない事は
私達家族にも
大いに影響している。

「遠い親戚より、近くの他人」
と言うが、その点から言っても
「となりの親戚」なのだ。

その家から、いつの日か
大家族の賑やかな声が
聞こえてくる日が
あるといいなと思う。







20080102135231


あけましておめでとうございます!

「ね」年は
どんな年になるんでしょうか?!

明日のことは わかりませんが

私が52になり
出て行った髪の毛は
もう2度と我が家に戻ることはなく

中央大学の森誠則(喜中、諫高卒)のように
箱根を疾走することもないことだけは
確かです。

景気の先行きは不透明で
我が長崎県は 若者の寄り所に
全くなりきれてない現実に
ため息ばかりでは
どうしようもありませんが

さりとて
明日から何をどうする知恵もなく
とにかく、
一歩 一歩を 噛みしめて歩いて・・・


甥っ子が、かわいい嫁(婚約中)を連れて
訪ねてきてくれました。

中国に渡った磯君が、家族を連れて
数日のうちに帰ってきます。

長男が、もうじき帰ってきます。


そんな正月2日の昼です。


最後に 森君!!(中大)かっこよかったぁ~

♬箱根の山は~天下の剣♬



コーヒー牛乳がうまい。

空きっ腹に 染みわたる。

たいして忙しくもないのに
昼飯を食い損なった。

今からでもいいのだけれど
どうしようかと思っていたら
冷蔵庫に
12月24日賞味期限(or消費期限)
のコーヒー牛乳。

「おいしい!!」


私の社会人 1年生は
昭和55年、熊本の地。

小売業なので この時期は忙しかった。
(と言うか、流行っていたデパートだったので
年中忙しかった。)

一月半ほど、休日が全くない時もあった。
―――若いので、頑張った

一人暮らしなので、朝食うものもなく
従業員入口から入った階段の踊り場で
自動販売機で買ったコーヒー牛乳を飲んだ。

空きっ腹に おいしかった。

たまには、前日に買った
アンパンとか饅頭とかをかじりつつ
コーヒー牛乳を飲んだ。

おいしかったぁ。


あの頃から 27年が過ぎた。

今、諫早の地で
中心市街地活性化が
声高に叫ばれている。

かつて、年に何回かの売り出しの時
階段やエレベーターを駆け上がってくる
あの殺気立ったお客様の
ほんの1割か2割が
この街にいれば

栄町アーケードも
喜々津商店街も
潤うであろうなあ・・・


コーヒー牛乳を飲みながら
そんなことを思っています。






20071214234257

※5人+1人でつついた美味しい鍋


♪もう いくつ寝ると お正月
お正月には タコ揚げて

いつごろまでか こんな歌をうたって
暮れの寒空を 楽しんだものであった

今日、正月にタコを揚げたり コマを回す
ハナタレ小僧は まず 見ない。

今の小僧は 暖房のよく効いた部屋で
テレビゲームを楽しみ
ケンタッキーか宅配ピザを食する。

子供の頃、母は「薬と思うて飲め」と
汁物を飲ませた。

「薬と思えば、よけいおいしくなかやろが」と
守幸少年は 母の心ない言葉と
ボキャブラリーの乏しさをなげいた。

しかし、あの塩辛い味噌汁だけは
ものすごく大好きで

私が好きな母の数少ないおかずメニューの
1つである

―――――いつも、いつも なき母を思い出す。

なぜか、なくなって半年、1年経ってからの方が
恋しくなってきた。

明けて3年。つい、数日前もおやじとおふくろが
ならんで、夢に出てきた。



―――――12月14日は、忘年会が楽しい夜でした。




もうしばらくお待ち下さい(__)
20070730192834

今日の昼食
妻が自分で作った、とても「味のいい」
手羽先の油揚げ?甘辛風味?をぱくぱく食べていた。

ひとつ食べては、あれこれ話して笑って
また、次を食べている。

「いろんなことが好きな女やなぁ」と
思いつつ、適当に話をあわせていた。

この「手羽先」とやら、思えば大人になるまで
それも、30も40にもなってやっと
うまいと思って食えるようになった。

だいたい、あの「トリハダ」が
苦手でダメだった。

子供の頃、お袋の実家
(と言っても、小道を一本はさんだ隣の家)
では、何かあると、とにかく大人数で
いっぱい料理とか作って
いっぱいで食べていた。

いつの日を最後にこの「風物詩」が
なくなったか定かではないが
年に何回も繰り広げられる

このお祭りさわぎは
その人手の多さ
バタバタ加減が
子供達には、とてもとても楽しかった。

さて、そこで
肉料理は主にさっきまで
コケッコッコーと鳴いていたニワトリさんだった。

このニワトリ料理の過程
特に前半の逆さに吊るして
首ちょん切って、火炙りにして、羽をむしって等々
残酷物語が
いたいけな北島少年の目と心に
深く刻み込まれていく

大の大人になるまで
手羽先を始めとして
ストレートの鶏肉が
ダメな食べ物となった。

―――――なのに、どうしてか
「ビールがうま~い」と、思うようになってから
(私は30まで晩酌しなかった)
セットのように
「鶏肉さんも好き!!」になった。


今、目の前で昼の日なかに
おいしそうに手羽をほお張る妻をながめつつ
思い出したことである。






5月1日、早朝、まさに早起き。

「早寝、早起き、朝ごはん」
文科省推進の言葉通り、
早く寝て早く起きた。

起きた時は、雨音がしていたが
今は、やんだようだ。

5月のカレンダーを見ていると
すでに何かと諸々行事が浮かぶ。

今日からの日を楽しみにしつつ
4月を振り返ってみると
いろんな事がありました。

世間的には、長崎市の事件に代表されるし
私自信も先に記したような心情であったが・・・。

月末になって、また「訃報」
同級生の急死。

夫婦間で本当のところは隠していたようで
実のお母さんでさえ
詳しく知らされていなかったとか。

大村と多良見
この10数キロの距離は、案外
「知らんことは、知らない」
で、過ごせる距離かも。

ぶっきらぼうな言動に、182cmの体
一見こわそうな風貌にこめられた
優しさと社会性。
子供のことを語る時の共通の思い。

父親同士がとても親しい仲だったので
親たち同様これからがますます楽しみな仲であったのに・・・。

精一杯、弔問客に接されていた奥さん、お母さんが
痛々しかった。

性格そのままの、テニスのようなゴルフだったが
(球を見つけたら、適当にすぐ撃つ)
「もう、こいつとは出来んなぁ」と、ひとり思った。

火葬場の駐車場で次男君が
春の日をあびた緑の山々を
ジーっと見つめていたのが印象的であった。

ライオンズメンバーとして
「献眼」を実行されたことは
立派であった。

合掌


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―


悲しみから一夜明ければ
甥っ子の結婚式。
「この男に花嫁が来る日があるのか」と
ひそかに叔父のハシクレが心配していた。

28歳になる姉の次男。
「嫁の来る、来ん」と外野席が悩むなかれ
「三国一の花嫁」はまさに
白馬に乗ってやってきた。

私は知らなかったが
数年前「ミス小浜・雲仙」だったらしい。

愛嬌はあるし、スタイルはいいし
これは何かのまちがい??

ボーっとして
何を考えているのかわからんこの男に・・・。

とにかく、姉夫婦ならずともめでたさの絶頂。

話がほぼ、まとまるまで私には伏せておいたとか
「話をぶち壊す」
「あの男だけには早めに教えられない」
とのことらしい。

あんなに何回もチャンポンをおごってやったのに。
たかだか500~600円のものでは
ありがたさが伝わらないらしい。

披露宴の最中、スクリーンに映った
本人の小さい頃の写真の中に
私の両親も出てきた。
とても可愛がっていたので
生きていればさぞ喜んだに違いない。

本当にめでたいことでした。


―・―・―・―・―・―・―・―・―


そんなこんなで
悲喜こもごもの4月でありましたが

5月はいいことばかりの
31日間であってくれれば・・・・ね。



今、どのあたりを、いつもの笑顔で
動き回られておられるのでしょうか

市民のこと、県のこと
被爆者のこと
世界平和のこと
そして大切なご家族のこと

色々とお考えになり
誠実に行動をおこされていた
伊藤市長

この度のこと
残念です。
無念です。

小学生の頃から
「市長」への目標と夢を
語られていたとのこと

すでに高校時代から
生徒会長として生徒をひっぱり
今に通じるようなボランティア活動を
なされていたとのこと

市議へのスタートの時は
親戚もなく、支援企業もなく
同級生を中心とした
まさに、手弁当の選挙であったとのこと

議員になってからはミニバイクで
どんな用事もこまめにこなし
まさに市民の声の代弁者であったとのこと

オランダ・バーグでの涙ながらの
反核、平和への演説は
今後も語り継がれることでしょう




大先輩に対する絶賛の声が届いたのか、ある席で
「俺をよく褒めてくれるらしかね」と
お礼を言ってくださった。

高校の全体同窓会では
どのテーブルでも超人気者で
我々後輩に声をかけていただき
本当にありがとうございました。

市町村合併の折は
わざわざ足を運んでいただき
多良見町のことに
気をもんでいただきました。

「人生の儚さ」を感じるには
まだ時が足りません。

今回のこと
我々多くのちまたの者が
まだまだ心に収めきれていません。

が、しかし、伊藤市長さん
どうか安らかに
お眠りいただきたいと思います。

大変、お世話さまになりました。

合掌
県議選が終わった。

個々にはいろいろあったが
落ち着くところに落ち着いた
と、言ったところだと思う。

これまで、いろんな事を一緒にやってきた人も
いい結果で、本当によかった。

そして、縁のある方も結果がよくてよかった。

市町村合併で、末端議員がうんと減ったせいで
私なども、にわかスターのように
急に「人気」が出て

あっちうろうろ
こっちうろうろ

全く、ポリシーのない日々であった。

考えてみれば学生時代
とっくに終わった学生運動を
我が日大はまだ、引きずっていて

大きなマスクに、黒ヘル、白ヘルで
なんかいろんなむずかしい事を
同世代の学生が言っていた。
ビラもよく配っていた。
が、
私は「すごいなぁ」とは思っても
内容にまったく関心がなかった。

運動部にいたこと。
金がなかったこと。
などが理由で

「次の食事」をどうするか、とか
「1日で稼げるいいバイト」とかに
主な関心があった。

いっこうに目の前に現れない
「とびきりにかわいい彼女」に
今日の電車で出会えるかも、とか
いつも、そんなことばかりであった。

ノンポリ歴は、長いという訳だ。




―――――さて、この県議選

いろんな候補の、いろんな話を聞いたが
1つ、気掛かりがある。

「平和」の話を誰もしない。
長崎県とは、このことを言ってくれる人が
いないといけない県だと思うが、どうだろう。

平和は「長崎市」に
まかせきり、の感がある。

高校生とかあんなに頑張っているのに。


それから、もう1つ
離島を中心とした急激な過疎化対策を
大きく言う人は、少なかった。

諌早選挙区は、対馬や五島のことを
あんまり言う必要がない?のだろうか。

県議だから「県」を語ってほしかったなあ~っ。



気がつくと新学期。
我が家も高校生が誕生し
真新しい制服が、まぶしい。

14日は、長女もコンサートをやる。

春爛漫、そして
すやすやと朝の布団の中で眠る
もうすぐ2歳児の息子。

まさに、当選の赤いバラならぬ
「心の赤いバラ」が
ここにいる。



「アトン」とは、「アトム」の意。

「ム」が「ン」になる。

我々の同級生には、ニックネームが多い。

目がパッチリしていて、かわいい顔で
キャラキャラした性格だったので
「アトム」のニックネームがついたものと思う。

ご存知、鉄腕アトムの全盛期でもあった。

大村工業を卒業して
即、天下の日産に就職した。

私が大学1年の時
神奈川県座間にある彼の寮を訪ねた。

彼は電話もせずに訪ねた私にびっくりして
それでも、なけなしの小遣いをはたいて
おごってくれた。

あの日から、30年が過ぎた。
1度、同窓会でお礼を言ったことはあるが
なかなか出会うことはなく
今日を迎えた。

そして、同級生からの電話。

彼の通夜があるという。

「なんでーーーーっ」

ひとり、ふるさとを離れた彼の地で
病をわずらっていたらしい。

桜もほころびかけた、すごしやすい季節になった。

そしてアトンは無言で帰ってきた。

年老いたご両親。

彼の目に、ふるさとは、どんな風に
映ったであろうか。

わりとかん高い声と、ニコニコした顔
突然訪ねた私に、ぶつぶつ言いながら
おごってくれた遠い日が、懐かしい。

やすらかに お眠りください。
ありがとう アトン

合掌



25.jpg


今日は、おふくろの3回忌 法要の日

命日は、明日18日だが
生きているものの勝手
兄が今日の土曜にしたものと思う。

前にも書いたが
快活で楽しい女であった。


さて、昨日、PTAの懇親会があった。

いつものことながら
着ぐるみ、その他、衣装持参で出かけた。

一番当てがハズレたのは
部屋が狭く、舞台がなかったこと。

「今日は出来んかも・・・・」と
1度は断念したが

飲むほどに、食べるほどに
「出たがり」は、抑えられず

結局「自己満足芸」を披露した

――――ここで私の衣装だが

メインは高校の時の学生服
こんなに細かったのか~と思うくらい小さい。

もう何年前だろう、15年くらいなるか・・・
おふくろが「こいば」と言って、出してきた。

大事にとっておいたらしい。
襟のWのマークが懐かしい。

息子の学生服をどこかに
後生大事にとっておいたらしい。

ちょうどその頃から
宴会芸にはまりだしたので
うってつけの衣装となった。

学生服なので
曲は「高校3年生」が1番多いが
そこは、なんでも歌手なので
どんなものでも、あわせられる。

50にもなると、この服を着ていた
現役高校生の記憶が薄れてしまって

宴会でうけたタイミングの方が
おおいに頭に残る。


今日は、法事なので
ドンちゃん騒ぎは出来ないが

また、近々、この服を着る機会もあるだろう。

そう言えば、母校は
事のほか難関高になったとのこと。

その内、「申し訳ありませんが・・・」とか言って
同窓会名簿から外される日が来るかもしれない。

森川君、谷口君あたりも、一緒だと思うが。








たしか
「きみ、きみ、貧乏ゆすりは
やめてくれないかなぁ」
だったと思う。

「こいが大学っちゅうもんか、すごかなぁ」
ワクワクしながら高校の同級生たちと受けた
初めての大学入試

体育館と見間違うような、大きな階段教室

右端中段あたりだったか

受験番号の関係で
近くには同級生の席もなく

真冬の京都で初めて 
1人ぼっちになった気がした。

周りをきょろきょろ落ち着きなく
見回していると

後ろから 
チョンチョンと
私の右肩に誰かの手

(またあ、試験も終わっとらんとにぃ)
(休憩時間にでも、ゆっくり話そっ)
(ゆっくり時間をかけて仲良くなろうよぅ)

そう思いつつ振り向くと

冒頭の言葉

ガビ―――ン

さみしかあ。

みょうに冷静で大人っぽく
京都なのに東京弁。

―――この冷たーーーい言葉と
全く関係はないけど
出た試験問題の難しかったこと。

帰りには「負け」を覚悟しつつも

また、同級生たちと
ワイワイ言いながら宿へ戻る。

そして気合を入れなおして
この勘違い受験生は
全く同類の勘違い同級生と共に
「京都観光」へとくり出した。

思えば「スベリ止め」ならぬ
「スベリ初め」の始まりであった。

「ヘタな鉄砲、数を撃っても当たらんよ」

あの日から、丸32年が過ぎた。



昨日の新聞に
立命館大学が「出題ミスで追加合格者」
の記事



――――行きたかったなぁ「立命館大学」

友達になりたかったなぁ「後ろの席の彼」










20070215131456


「空は快晴、野球は海星」

いち時期ローカルな
はやり言葉だったが(30~40年前)
海星が強くならないなぁと思う。

まったく海星とは縁もゆかりもないがそう思う。

さて、今日はいい天気。
まさに「快晴」だった。

いい天気に誘われて
ではなく
由あってドライブに出た。

我が家の1歳児が
混ぜくるので
妻の用事がさばけないとのこと。

「この子をどこかに連れてってぇ~」
リクエストにお答えして
とにかく外へ出た。

行くあてがないのは困る。

どこへ行こうか?

そうして、着いた所が平戸であった。

なぜ「平戸?」

最初に大村へ走って
シュシュでパンを買った。

まだ3,40分しか経ってない。
「こまった」
どこへ行けば時間がかせげるか?

とにかく車を走らせる。
佐世保が浮かぶ。

何か面白いものでも
あるのかないのか
息子はうしろで
言葉にならない「ことば」を
身振り手振りではいている。

楽しそうではある「よかった」

佐世保の街並みを抜け
見た目にはっきり
「田舎」の風景が広がる。

ここまでくれば「平戸」
きれいな海、きれいな空、澄みわたる空気

20070215131617


言葉を交わさなくとも2人の心は通じる。
(1人は言葉が交わせない)

大橋を渡る前、やや緊張する。

確か、ここの橋は料金が高かったぞ。
――――「あれぇ、100円」

いつの間にか、うんと安くなっていた。
そんなに久しく来てなかったのか。

かつての
海の国際的玄関口 平戸へ
「来たぞう!!」

名物の干しあごを買って、
観光客きどりで
うきうき「子守りディ」

息子もジュースやパンや
とにかくおとなしくさせる為のものを
いくつもあてがわれ
ニコニコ&スヤスヤ

さわやかな早春の1日であった。

ここでまた

「空は快晴、野球は海星」












今日の新聞の読者欄に
一生懸命勉強して
希望の大学に入った人の話が載っていた。

いわく
「急に父が大学へ行けと言った。
 高3の秋、残り半年
 布団に入っても 勉強した。

 家業も手伝った。

 大学に入ってからも
 親孝行する時は今しかないと
 手伝いをした。」
とある。

すごい、おん年66歳の方。
今もそれなりのお仕事の方らしい。
素晴らしすぎる。


私にあてはめてみよう。

おふくろが
「あんたは、いっちょん勉強しよらんとの」

「大学は、いっぱいあっと」
おふくろ
「ああ そうね」

おやじが
「レベルのひっかとのいっちょくらいあるやろ」

「あるある」

結果、全滅。
それでも3月いっぱいは
「補欠のくるかもしれん」と
郵便配達を結構待っていた。

『さくら散る、ミズホで帰れ』

私がつくった不合格電文。

ついこの前まで
長崎・東京間を行き来していた
2本の特急にひっかけてつくった。

受かった同級生にも
落ちた同級生にも
ため息まじりで少しはウケた。

32年前の思い出。





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正月の同窓会から2週間あまり、訃報が入る。

「お父ちゃんの看病もせんばけど
もんちゃんから電話ばもろたら
みんなに会いとうなって・・・」

と、挨拶された堀先生(小学校の時の恩師である)

「もんちゃん」とは、私のこと。
正式には「もりんちゃん」と呼ばれた。(そのことは、どうでもいい)

先生のご主人が亡くなった。
なんと、23年の闘病生活であったとか

先日の笑顔も
4年前の同窓会でのハシャギ様も

ご主人のことを
一時も忘れられない心を押しての

教え子に見せる仮の笑顔であり
ある面では
本当にうれしい気持ちの
表現でもあったのだろう。

体育が得意で、いつも元気な先生であった。

「先生、元気を出してください。」

ご主人も先生稼業で
諌早、旧北高地区をまわられたとのこと

ご冥福を祈る。




自分が50歳なので
当たり前といえば当たり前

こないだの同窓会でも
1番若い先生でもすでに
昨年リタイヤされている。

みんな、年をとられた。

そういえば、4年前の同窓会の時
女子数名が、孫の話をしていたが
今回は、がぜん増えた。

もう学校に上ろうかという
孫までいるらしい。

そこで私。

あと5年してやっと息子が学校に上ります。

元気にしとかんば!!







中央大学 ”森 誠則君”はよく走った。

ばあちゃんが
「右足の調子が悪かけん出れんやろうって思っとった。」
と、おっしゃっていたが

監督さんの見る目で「イケル」判断があったのだろう
復路8区で よくふんばった。

きびしいレースだったことだろう。

我々が想像も出来ない圧力が
体にも 心にも およんだ事だと思う。



――――この選手の父親は、我が喜中の同級生。
思えばかつて長距離は得意だった。

そのDNAが、諫高で磨かれ開花し
今、中央大学で一段と磨かれているのだと思う。

「箱根を走る」とは長距離選手にとって
野球で言えば
「甲子園」か「6大学野球」かということだと思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話はまことに低レベルと言うか
関係ない話と言うか

かつて学生時代、この箱根の芦ノ湖畔の
円筒形のホテルが出来るころ
その室内家具の搬入のバイトで
1週間ほど当地にいた。

我々1食1食が勝負の学生には 実にいいバイトで
いい食事と いいバンガロー(近くに木造の一戸建て)が
宿舎としていくつもあった。

バイト代も結構な額で
このバイトを斡旋してくれた同級生に
深く感謝したものだ。

特にトラックの都合で丸1日仕事がない日があって
(バイト代はちゃんと出た)
芝生の広場で野球をしたり
結構来る観光客の人物観察をしたり
楽しい楽しい思い出の地だ。

1泊いくらの料金だったのか
いつかお客として利用することが
あるだろうかと思っていたが

30年近くの日々が経過しても
やはり宿泊することはない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・



華の箱根を疾走する同級生の次男選手。

今日、彼は、きびしいレースを
振り返っていることだろう。
しかし、たかが家具屋のバイトを
懐かしく思う日も来る。

まして、選手として
伝統のレースを駆け抜けた経験は
一生を通じて胸を張るべく大勲章である。

まだ2年生 これからに期待したい。

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あけまして おめでとう ございます!
今年も 本当に よろしくお願い申し上げます(ヨ)

と言う訳で 昨年(昨日)の紅白は 面白かった。

”DJ OZMA”の歌は楽しかった。
お祭りソングの東の横綱と言う感じ。

ポルノグラフィティのボーカルは 歌がうまい。
実にうまい。

私は、喜中で音楽「5」ではあったが
あそこまで行けば やはりプロである。

そしていつもながら、小林幸子は良かった。
派手さも満点。
これ以上舞台で造りようがないくらいだった。

地に足が着いていない(私はいい意味で使っている)
飾りようが最高。

――――――紅白の中身はこの辺で終わって。


今年最初の話題と言えば、5日の日の喜中の同窓会
久々の面々もいれば、いつも会っている面々
また、恩師もたくさん来てくださる、
ありがたいことだ。

S47年卒の我々の年まで なんと
「集団就職」なるものがあった。

長崎駅に勢揃いした同級生他
他の中学校卒の面々を
ボックス席の 特別列車が
大阪、名古屋へと運ぶ。

当時は 名古屋方面が断然多かったようだ。

涙ながらに見送った同級生。

Uターンした人もいれば
そのまま彼の地に住み続けている人もいる。


今年 次女(3番目の子)が母校、喜中を卒業する。
就職などほとんどの子供たちには関係ない話だが
人生の大きな節目ではある。

風邪などひかず 卒業の日まで
有意義に過ごしてほしい。

かく言う私も PTA会長職を「やりたい!お願い!」と
すがりついても 辞めねばならない。

予想されたことだが、アトガマ探しは難航している。
「楽しいことなのに!」とは思うが、出も多い。

「誰か PTA会長 やりませんかぁ」
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私の父もハゲで、よくボウシをかぶっていた。

近所でよくお世話になっていた方で
つるっぱげの人だったが
「寝る時 ほうかぶりをすると
布団1枚分は あたたかい。」
と、おっしゃっていた。

そんなわけで、私もボウシが好きだ。

こんなヘンテコりんなボウシも
わざわざ買ってきたもの。

背におぶったこの息子もヘンなのが好きで
親子で楽しんでいる。

「いいことですね~!」とは誰も言わないが

たかがボウシで幸せが一段と広がって
親子のスキンシップも出来て
安い安い買い物である!





秋冷の候、皆様におかれましては
ご健勝にてお過ごしでしょうか。

さて、11月19日(日)は「多良見町」恒例の
ロードレース大会であった。
数えて31回とのこと。
「町」が「地区」とはなったが、中身は同じ。

私はと言えば、1番長い距離10kmの
折り返し点近くに陣取った。
ただ交通安全の旗を持ち
選手が来たときだけ
やや緊張の表情をつくればいいだけ。

交通量の多い所なら、結構忙しいが
好んで だ~れも通らない所を
例年のごとく選んだので
ホントにだ~れも通らない。
「釣り」用語で言えば絶好のポイントである。

仲間と立っていると隣の家から5才の男の子登場。
「何をしているのか」
「この花は、おしろい花という」
「ボクのうちはここ」等々
人なつっこく攻めてくる。
J君は、かわいい顔をした
人なつっこい男の子なのだ。

こっちも暇だから、いろいろしゃべっていると
どんどん慣れてきて
「ボクはこんなに速い」と
私の前を全速力で走ってくれる。
褒めると、勢いづいてまた走ってくれる。

そのうち、道をはさんだ前の家から
中1女子と小学2,3年の姉、弟が加わって
5才の子のおばあちゃん、お父さんと
たまに来る選手に声援を送った。

しばらくすると、選手には悪いが
子供たちは飽きたらしく
シャボン玉を始めた。とても楽しそうだ。


目の前は喜々津川の上流の中里川
この奥は蛍と桜の名所の中里砂防公園がある。

朝からの雨もレース途中からはやみ
まさに秋冷の澄みきった空気の下
日曜の朝を優雅に過ごす子供たちとの交流は
とてもさわやかであった。



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